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ドリーム・タイム〜わたしとロフトと住んだ部屋〜

米国に来る前、わたしは夢を見た。
背の高い、天井を仰ぐようなロフトに住む夢を。

子どものころから予知夢のようなものは何度も見ているし、本当にそれが実現したことが何度もある。

だから、というわけではないけれど、実際に背の高いロフトに住むことになったときは「ああ、やっぱりそうだったんだ」と、感動したものだ。

しばらく前、米国に住むようになって初めて買った家を、手放すことになった。
家は無事に売れてくれて、売却の世話になったエージェントの会社に紹介された部屋は、まあ、悪くなかった。

もっとよく探せば割の良い物件に出会ったかもしれないけれど、家の売却にあたっては、退出の期限がガッチリと決まっていたのだ。

不動産の売買で「実はローンがおりなかったので、(売買を)なかったことにしてください」…なんてことはよくあるから、ちゃんと売買契約が完了するかどうかを氣にしながら、荷造りと家具の処分と掃除をしながら、さらに新居を探す…なんて、とてもじゃないが自分たちだけではやってられない。
そこで、エージェントに家探しを依頼したのだった。

たどりついたそこは古い建物ではあったけれど見晴らしもいいし、暖炉もついていて、古い物好きのわたしにとっては、なかなかの物件だった。

が、しかし。
古くて素敵なエレベーターは、よく故障した。古いものなので修理にも時間がかかり、一度とまれば2週間は動かない。

しかも上階には州立大学のスポーツ特待生の若者が住んでいて、週末になると大騒音のパーティ状態が繰り広げられる。
あまりの騒音に対して、警察を呼んだこともあった。

そのうえ、地下のガレージでは豪雨による浸水が起きて、車が全損してしまった。

そんなことがもろもろあった末の次年度の契約の更新では、家賃が上乗せされるという。
そんなのはもう、たまらない。

住んでたった1年だったけれど、わたしたちは新居を探し始め、「これは!」というところを見つけた。

そこは「ロフト」だった。

元は1800年代の終わりに建てられた錠前工場で、錠前に関して特殊な技術を持った会社の持ちものだったそう。
その昔の地図を見るに、建物の前に港までの鉄道が引き込まれていて、実際に街の住人の1/4が関係者だったという、大きな工場だった。

今もその会社の名は、この付近一帯のエリア名として残っている。

やがて会社がなくなり、線路もなくなり…。

2000年代、米国在住になったわたしたちがその工場跡地を知ったとき、そこはアーティスト・ビレッジとなっていて、たくさんのアーティストがアトリエを構え、自らのアートを生み出していた場所だった。

年に何回かあるオープン・ギャラリーの日、わたしたちは幾度もそこを訪れ、様々なアーティストの作品を眺めながら建物の佇まいを楽しんだ。
そして「こんなところに住めたらいいな」と思ったものだった。

やがて、オープン・ギャラリーがなくなってしばらく、「ロフト」からアーティストたちが追い出されて再開発されたらしい…ということを、ぼんやりと噂とローカル・ニュースで知った。

なんでも、そこは市が文化的に遺したい建物なのだそうで、再開発の結果、外観はそのままに、中身は住居として生まれ変わったのだ。

住居用となった「ロフト」は、もとが工場だったこともあり、廊下などはとにかくフラットでシンプル。煉瓦造りの部分、シンボリックな形状のコンクリートの柱、太い木の梁などが当時のままに残してあった。
飾り氣がないと言えばそうだが、インダストリアルな雰囲氣がそのまま残っていて、わたしは好きだった。

部屋は天井が3.5メートルくらい。
全体に錠前工場だったころの風情があり、窓が大きくひらけている。

なので、もう、そこに引っ越すことには何も異論はなかった。
上層階なので目の前に障害物が何もなく、意外なほど樹々も見えていて嬉しかった。

夢に見た場所に住めるんだ…と心が踊った。
真夏の引っ越しは大変なことばかりだったけれど、「ロフト」の住人になれたことは、とっても嬉しかった。

そして、その部屋で楽しく数年を過ごしたところで、管理会社から通達が来た。

いわく「ここは地盤沈下もあるし、フルでリモデルすることになったから、出ていってほしい」と。

寝耳に水の宣告に対し、支配人が管理会社とガチの交渉をし、同じ建物の中の別の部屋に引っ越すことになった。
しかし、館内で再契約できたものの、引っ越し先の建物内には同じ間取りの部屋がなく、部屋がひとつなくなることにもなった。

とは言え、嘆いていても仕方がない。

大きな家具をいくつか処分し、断捨離もして、具体的に物量を減らしてから引っ越した。

新しい部屋は天井高が同じせいか思ったより狭くは感じなかったし、窓からは樹々も見えた。
部屋はひとつなくなったけど、新しい配置も悪くない。

実は自分たちに必要な広さってこんなものだったんだな…という、新しい視点を得ることもできた。
物もそんなに要らないようだし、点数よりも質を上げるほうが大事だな…というような、生活に関する考えを変えるきっかけにもなった。

そうやって暮らしていたところ、今度は1年もせずに「館内の工事について、騒音と振動がかなり起きることがわかったため、日常生活に支障が出るので退去してほしい」という手紙が管理会社から来た。

しかも、その手紙(メールではない)は金曜の午後遅くに各戸にくばられた。
土曜・日曜はリーシング・オフィスはお休み。だから質問したくとも交渉したくとも、怒鳴り込みたくとも、相手が居ない。

今度は期限までの全館退去になるため、「こんなのやってられない、管理会社に退出期限を延ばしてもらう」と憤っていた男性が教えてくれたのは、氣の毒なことに、その通達があるほんの一週間前に入居した人がいる、ということだった。

わが家の場合、支配人が翌月曜の朝イチでリーシング・オフィスにアポイントメントを入れ、土日の間にふたりで協議し、吟味した「条件」を突きつけて「退去にあたっては、こういう内容のサポートをお願いしたい」と頼んだ。

支配人いわく「オフィスには感情的になって怒鳴りちらしている人もいたけど、そうしても何も解決しないから」と。

確かにそのとおり。
そこで駄々をこねても、状況は何も好転しない。

相手も「仕事」なのだと考えれば、冷静に「お前の条件は飲むから、こっちからはこれを頼む」と畳み掛けるほうが、お互いに楽になれる。

さらに、わたしたちは「方位学」の鑑定をしてもらっている鑑定士に依頼して「吉運となる方角と日取り」を正確に出してもらった。
引っ越しというものは、事後11年半の吉運に影響するからだ。

結果「ここがいいかも」と考えていた街やプロパティは全滅。
吉方位に存在する物件はひとつだけだったが、ありがたいことにその物件は「ロフト」のシスター・プロパティ(管理会社とマネジメントが同じ物件)だった。

そうなると、交渉はもっとやりやすい。
管理会社が「シスター・プロパティに引っ越すなら、ここまでサポートする」と、好条件を出していたからだ。

鑑定で引っ越し日が正確に決まったことで、ハウス・ツアーや空き部屋の確認をすぐに申し込めたのがまたよかった。
なんと、その「吉運」引っ越し日に空く部屋は、ひとつしかなかったのだ。

その部屋はいずれの退去が決まっているものの、まだ人が住んでいるので、ハウス・ツアーは同じ間取りの別の空き部屋でやってもらった。

スマホのコンパスを使いながら部屋をめぐって写真を撮りまくり、さらにオフィスで部屋の位置と方角を示した全体図をスマホで執拗に撮るわたしたちは、ちょっと異様だったかもしれない。

その写真を元に鑑定士に最終確認をとったところ、借りる予定の部屋はバッチリと吉方位の真ん中にあった。
「よく見つかりましたね!この部屋で、この日の引っ越しなら、まったく問題ないです!!」と鑑定士も驚いていた。

しかし、ひとつ条件があった。
「家具を積み込むのは後日でいいけれど、引っ越し日の前日から、その部屋で寝泊まりを開始してください」というもの。
わたしたちは日本生まれなので、日本の時間に合わせて 念には念を入れる…ということだった。

大きな車を持っている友人ふたりに細々したものの運び込みを手伝ってもらった前日、わたしたちは寝袋を持ち込んで寝泊まりを始め、当日には別の友人にガッツリと手伝ってもらって引っ越しを終えた。

そして、引っ越し日の翌日にネットを開通させたのだが、訪れたケーブルガイズは部屋を見て「先週、引っ越して来たの?」と訊いてきた。
支配人が「いや、昨日だよ」というと、ガイズは大変、驚いていた。

それもそのはず、部屋には5つくらいのダンボールしかなく、ほとんどの物はすでに収納場所へ収まっていたからだ。

これはわが家の引っ越し・恒例行事で、とにかく引っ越し日にすべての箱を開梱してしまう。
とにかく、ダンボールから物を出す。
物量を把握できれば、そこからはだいぶ楽になるからだ。

本棚だって食器棚だってキャビネットだってぐちゃぐちゃだけど、整理整頓や配置はあとからやればいい。

未開封のダンボールに囲まれて呆然とすごすより、激しい疲労と筋肉痛が待っていたとしても、とにかく物を出してしまうほうが、わたしたち的には落ち着くのだ。

そんなこんなで引っ越しを終えて、新しい部屋に数週間。
ちょっとしたユーティリティ・ツールを足したり差し替えたりして、だんだん馴染んできている。

実は今の住居からは元の「ロフト」が見える。
あの「ロフト」で過ごした約3年の日々は、きっとこれからも思い出す「ドリーム・タイム」だったな、と思う。

大好きだったインダストリアルな部屋、大きな窓から観た季節の移り変わり、晴天の日、曇りの日、雪が降った日、嵐の日、海際に打ち上げられた花火が部屋から眺められたこと。

きっと、どれもが忘れられない思い出だ。

今の部屋は北向き&街側に面したところなので「緑はもう見えないかもな」…と思っていたけれど、実は遠くに樹々がたくさんある地区が存在していて、それを窓から目にすることができるとわかって、嬉しかった。

高層のため「鳥の姿も見えないか」…と思っていたが、そんなこともなく、窓には優雅に風にのる鳥たちの姿が見える。
小さなデッキが手に入ったので、ハーブなど育ててみたい。

もう少し季節が進めば、緑も眺められると思うので、今から楽しみだ。


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