見出し画像

料理には、心が映る

誕生日の翌日、お寿司を持ち帰ることにした。
開店直後のお店に行って注文を済ませ、できあがるまで近隣の店で買物をして時間を過ごした。

数十分がすぎて「そろそろかな、でも少し早いかも?」…という段階でお店に戻ったら、まだまったく品物ができあがっていなかった。

いつもなら、このくらい時間を空ければできあがっているはずだけど…。
どうやら、お店のオペレーションに行き違いがあったようだった。

わたしたちには特に事後の予定はなかったので、お店の片隅に座らせてもらった。
大将が「待たせてごめんなさいね、今すぐ作るから」と謝るので「大丈夫ですよ!」と答えて待っていた。

このお店は、そんなに高額なところではないけれど、この界隈に昔からあって、素朴な感じの「街寿司」が食べられるのが氣にいっている。

特に、少食のわたしたちにはランチ用の握りが「シャリコマ」なのがありがたくて、いつも頼む。

待っている間にも、イートインのお客さんが入ってくる。
このご時世、お客さんの入りがいいのは安心する。

「そっちはいいや、こっちを先に作るから」と、大将は少々、焦りぎみ。
そんなに焦らなくても平気ですよ〜、と心の中で思いつつ、手慣れた調理を見せてもらった。

むしろ、「本当のできたてを食べられるんだから、これはラッキーだな〜」くらいに思っていた。

大将は最後まで「待たせてごめんなさいね」と言って見送ってくれた。
持ち帰りのときはチップを渡さなくてもいいのだが、わたしは自分の誕生日の「お福分け」の意味も込めて、置いていった。

頼んだものは、ランチ用のセットがふたつに、いつもお願いする太巻き。

その太巻きのパックを開けたとき、大将の「焦り」が形になっているのがわかった。
いつもなら、一切れが均等な厚さできれいに並んでいる太巻きに、薄いのと太いのがあったからだ。

また、巻物、特に太巻きは「なじませる時間(シッティング・タイム)」が必要なものだ。

できあがり後、巻きすに巻いたまま、しばらく冷蔵庫の上に乗っていた太巻きのことを指摘した支配人が

「どうして、大将はすぐに太巻きを切らなかったの?」

と訊いてきたので、

「太巻きは、しばらくなじませる時間が要るからだよ。今日は短かったと思うから、たぶん巻きがゆるいと思うよ」

と答えた。

実際に、そのとおりだった。

いつもなら手で持ってもくずれない太巻きが、ちょっと力を入れて持たないとくずれてしまう。
そして、いつも海苔の周囲に均等に入っているシャリの厚みが、偏っている。

これもまた、大将の「早くしないと」の氣持ちが出た結果なのだろう。

料理は、こんなふうに心を映す。

わたしもまた同じで、焦って調理すると手を切ったり焦がしたり塩加減を間違ったりと、ろくなことにならない。
食べられないものではなくとも、自分が思い描いていた仕上がりとは違うものになってしまい、その残念さで落ち込む。

ゆっくりやっていたら、もっと上手にできたのに。
時間に余裕があったら、もっと美味しくできたのに。

…と。

わたしはお店で調理しているわけではないから、時間はそれなりに取れるし、「待ってて」と言えば待っててくれる相手(支配人)なので、見知らぬお客さんを相手にする大将のような重大さはないのだが。

佐藤初女さんが、ご自著で「わたしは、ゆっくりとしかできないのです」と断言しているのを見て「自分も、このタイプだな」…と思ったことがある。

なので、わたしはお客さんがあったり、お弁当などを作らなくてはならないとき、ものすごい早起きをする。
「そんなに早起きしなくても」と支配人に言われるくらい、早起きする。

それは他の誰でもない、自分のためなのだ。
自分的に余裕を持って、落ち着いて作業をするための、その時間を確保したいからだ。

その代わり「めんどうくさい」は言わない。
自分が作った時間を精一杯に使って、準備する。

それが、わたしのルール。

料理には心が映るから、自分が自分で納得できるように、やりたいのだ。

でも、大将のお寿司は美味しかった。
握りにも丁寧な仕事がしてあって「プロって手が早い!!」とおどろいた。太巻きがちょっとばかりゆるくったって、家で食べる分には問題ない。

また買いに行こう。
今度は、大将が焦らなくて済む感じで。

いただいたサポートは、毎年の誕生日に企画している「いなわら亭用・調理器具」の購入に充てさせていただきます。お気持ちが向いたら、どうぞよろしくお願い申し上げます〜〜!