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「自分に正直になる」は、スキルではないのかもしれない

僕は小さい頃から「自分に正直になりたい」と思い続けてきた。

ついつい人の顔色を伺って、とっさに本心とは違うことを口にすることがどうも染み付いてしまっているみたいだった。

”正直になる”ことがうまい人を見ていると、それがとてもとても羨ましく思えていた。今よりも小さい頃の方が、その気持ちが強かった気がする。

小学校の教室の真ん中で、「自分はこう思っている」「これがしたい」と恥ずかしがらずに伝えている姿は輝いてすら見えた。


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恥ずかしい話だが、今思い返せば、僕は会社員時代いつも何かしらの嘘をついてきた気がする。

本心を言えば、「馬鹿にされるんじゃないか」「やりたいことを止められるんじゃないか」と、どこかびくびくしていたように思う。(勇気を出して本心を言ってみたら、見事なまでのカウンターパンチを浴びて、瞬間でノックダウンしたこともあった)

「ああ、また正直になれなかった…」

そんな自己嫌悪を感じた数は数え切れない。そのたびに、自分には「正直になるスキルが足りないなぁ」と思っていた気がする。

そう、”正直になる”ことは”スキル”だと思っていた。訓練すれば誰でもできることだけど、向き不向きが存在する、そんなもののように捉えていた。

ところが、フリーランスになってからというもの「自分に正直になれなかった」と後悔した記憶がほとんどない。自分に嘘をついて、自分を押し殺そうとした試しがない。

スキルだとしたら、そんな急に変化するのはおかしい。そんなぼんやりとした違和感を感じていた。


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ある日、コミュニティ内のイベントでメンバーの方が伝えてくれた一言があった。

「普段はなかなかできないんですけど、このコミュニティでは自分に正直になれるんですよね。ここは正直な自分が受け入れられているような感覚を持つんです。」

ハッとした。

これまで”スキル”と思い込んでいたものは、実は”環境”や”関係性”が原因で引き起こされるものだと、この方の言葉で気がついた。

目の前にいる人との”関係性”
今身を置いている”環境”
それらの影響を受けて、僕らは「自分が正直にいれるか、いれないか」を判断しているのだと。

「正直でいても大丈夫だ」という場や関係性の安心感が、その人からの”正直”を引き出すことができる。逆に、”正直”でいることは他人からは強制できるものではないということでもある。

「正直になれ!」と怒鳴りつけるのはナンセンスで、正直にいてほしいなら、正直にいたいと思える環境にしたり、関係性を築いたりする必要があるんだと思う。


自分がもし、「正直でいたい」と思うなら、自分自身を変えようとするのではなく、その人との関係性に着目するといいのかもしれない。

少し関係性が変わるだけで、環境が変化するだけで、自分でもびっくりするぐらい”正直”になっていくんじゃないかなと思う。

そう気づいた時「自分自身を責め続けなくていいんだ」と、僕はなんだか気持ちが楽になった。


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