無題のプレゼンテーション__6_

コミュニティづくりは連作短編小説のよう

コミュニティづくりを短期と中長期的な視点で考えるとどうなるかが今回のテーマです。まず始めに、このテーマで書こうと思った理由を簡単に綴らせて頂きます。

イベントを複数回開催していると、
「前よく来てくれていたあの人、最近来てくれないな」
「あの人、一回来ただけで、二回目以降来てくれていないな」
ということが少なくないと思います。
もちろん、イベントやコミュニティに合わない、理由があれば良いのですが、突然気がついたらふと疎遠になっていると悲しいものです。

また、上の問題と重なる部分もありますが、新規のメンバーが馴染めず、結果的に気がつくと、毎回同じメンバーになっていることもあります。何回も来てくれる人がいること自体はとても嬉しいですが、新しい人も交えていきたいが、どうもうまくいかない・・

実際、僕たちが作っている大学生と社会人のコミュニティであるWOLSAMでも同じような問題を抱えていて、まだまだ試行錯誤の途中です。試行錯誤の途中ですが、その過程で少し見えてきたことがあります。

コミュニティ運営は”連作短編小説”のようにするのが良いのかもしれない、ということです。

「??」となると思うので順に記していきます。
まず、そもそも、連作短編とはそもそもどういうジャンルなのでしょう。
短編と長編と比較すると分かりやすいです。

短編小説は、通常一冊の本の中に、複数の物語が入っています。
一つ一つの物語は一冊の本としてテーマの関連性はあるものの、通常、話は区切られていることが多いと思います。つまり、主人公も時代も場所も異なっているのです。一方、長編小説は、一つの本に、一つの物語として、主人公がいて、時代や場所の設定があります。もちろん、章に分かれていたり、主人公や時代が分かれていて、交互に進んだりはするかもしれませんが、通常一冊の本として最後にまとまる形となります。

では、連作短編小説とは何か?
一つ一つの話が物語として完結しながら、全体としても一つの物語になっていることです。一つ一つの物語を通して話が進んでいき、最後にまとまっていく、それが連作短編小説です。
代表的な作品は東野圭吾さんの『新参者』や小説ではないですが、浦沢直樹さんの『マスターキートン』が挙げられます。

まさしく、コミュニティ運営も、一つ一つの物語と、全体の物語の二つの視点が大切だと感じます。

連作短編小説での一つ一つ物語は、コミュニティで言えば一つのイベントとなります。全体としての物語は、連作短編が重なっていった末に見える、大きな物語です。(コミュニティとイベントの関係はこちらの記事にまとめてあります。参考までにご覧いただけると幸いです)
一つ一つのイベントを満足度の高いものとして完成させる。しかし、それで終わってしまうと、正直効果は薄いことが多く、その本人にとっても、コミュニティにとっても大きな変化は起こしにくいかと思います。
(私自身、恥ずかしながら、セミナーやイベントに参加して、その場では「学びになった」と満足して思いつつ、次の行動に活かせず、その学びが埋もれてしまった記憶があります...)
もちろん、一回のイベントで得られるものは大きいですが、参加したイベントを通じて行動したり、振り返ったりなど「次の機会」を繰り返すことによって、その人自体もより変わっていくものだと思います。

WOLSAMの場合、ボードゲームやキャンプなど、比較的ハードルの低いものを入口のイベントとして行うことが多いのですが、それを通じて、自然とコミュニティ自体に慣れてもらい、素直になり、その人の「○○したい」を引き出せる仕掛けを心がけています。そこで出た「○○したい」を次の企画に繋げたり、また企画ではなくとも、純粋にコミュニティ自体に慣れてきて、素直に自然と自分の心境を話せるようになり、そこから何かを得てもらう、などです。

一つ一つのイベントを、参加者が最大の学びを得られるように設計をしながら、それを繋げていき、その人の「人生」という大きな物語に、より良い影響を与えられるように、コミュニティを作っていけるように、引き続き試行錯誤を重ねます。

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