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【権力格差】なぜ管理しかできない?組織改革のやり方

日本の管理職は、組織変革に対する阻害要因となることが多い。日本の企業文化は調和と協調を重視するため、管理職がリスクを取って新しい働き方を実践しない。だから変革が進まない環境が生まれ、管理職が変革の「ブラックホール」となってしまっている。

マッキンゼーによる以下のレポートからの要約です。

私自身うすうす気がついてはいましたが、日本の多くの管理職のレベルは極めて低い。時に戦慄を覚えるほどにです。なぜなら文字通り「管理」しかできないからです。

はっきりいって、管理なんぞ「バカにでもできる」ことです。つまり多くの管理者が「バカにでもできることしかできない」のです。(稀にそれすらもできない人がいる点には呆れを通り越すわけですが)

管理職の本来あるべきと考えられる仕事とは、組織のゴールを設定し、ゴールに至る道筋を明らかにして、その道程でメンバーが果たすべき役割を与え、その活動を動機付けたり指導したりしながらサポートすることです。

ところが、こういったことを全くせずに、部下を単なる便利使いとして利用するだけの管理職が少なくありません。当記事では、こういう管理職を以下、クソ上司と総称します。

クソ上司はビジネスセンスがない上に、自社の課題の優先順位付けがメチャクチャなので、そもそも「あれをやろう」「これをやろう」と言い出す仕事の多くが無意味であることが少なくありません。

こう言った仕事は典型的な「スジの悪い仕事」であって、どんなに一生懸命に取り組んだところで、組織内の評価は高まりませんし、成長につながる良い経験もできません。

では、いったいなぜこのような状況が続いてしまっているのでしょうか?この「無くならないスジの悪い仕事問題」を考察するにあたって、その入り口として、次の概念を見ていきたいと思います。

権力格差

とても大事なことなので一人でも多くの方にご認識していただきたいのが、「権力格差指標=PDI(Power Distance Index」というものです。

上役に向かって反論する際に部下が感じる心理的な抵抗の度合いには、民族間で差があるということがわかっています。

オランダの心理学者ヘールト・ホフステードは、全世界で調査を行い、この「部下が上役に対して反論する時に感じる心理的な抵抗の度合いを数値化」し、これを「権力格差指標=PDI(Power Distance Index」と定義しました。

私たちが日頃よく目にする国に絞ってグラフ化し、

https://geerthofstede.com/research-and-vsm/dimension-data-matrix/ 
よりデータを参照し筆者がグラフ化

左から順にみていけば、なんとなく「ロシアと中国・・・そうれはそうでしょうねえ」と思われることでしょう。

ロシアは歴史的に、帝政やソビエト連邦時代の共産党支配があったため、とても強力な中央集権的な政府が常に存在していましたし、今もそうであることが知られていますね。同様に、中国でも長い歴史の中で皇帝支配や封建制度、共産党による一党支配を経験し、やはり今も名残は色濃くある。

要するに「旧」共産圏の国々においては、一党独裁の強力なトップダウン型の管理が一般的であることが知られているわけですが、中でも特にロシアと中国では政府と企業が非常に密接に結びついており、「国家全体が一つの巨大な企業」のように機能しているのです。

このような国々において、部下が上役に意見などしようものなら・・・(消されたくないのでこれ以上は申し上げません。※陰謀論者ではない)

「中国ではなく日本に生まれて良かった、ほっ安心」と思われる方が少なくない中、しかしPDIスコア80の中国と、スコア54の日本には共通点があります。さらにはスコア60の韓国もここに含まれてきます。わかりますか?

儒教

儒教とは何か?という問いに対する答えは、もちろん「孔子の教え」ですが、この孔子の教えを一言で表すことは非常に難しい。敢えて表現するならば、「人間関係と社会秩序を重視する哲学および道徳(あるいは倫理)体系」となるでしょうか。つまり、儒教は孔子の思想です。

「わからない!」という方向けにポイントを掻い摘むと、儒教の基本的な教えは、まず家族の結束や親子関係の重要性について、中でも年長者への敬意の大切さを説き、同時に礼儀・礼節も重要視しています。

儒教は紀元前5世紀ごろの中国で孔子が創始し、その後長い時間を経て、中国の国家公式イデオロギー=政治思想・社会思想として採用されます。これが官僚制度の礎となっているわけです。

こうして孔子が創始した儒教は伝播を始めます。

高麗時代(918-1392)の朝鮮半島に儒教が広がると、後の李氏朝鮮時代(1392-1897)にはここでも国家イデオロギーとして採用されていきます。ただし補足として、現在の韓国(大韓民国)は1948年に北朝鮮との停戦により建国されたため、「韓国≒朝鮮半島」という感じのイメージで捉えていただければと思います。

そしてこの儒教は奈良時代(710-794)や平安時代(794-1185)にかけて日本でも広まり、江戸時代(1603-1868)には武士階級の倫理教育の基盤となります。武士階級のトップは征夷大将軍であり、日本の最高権力者として君臨したことを考えると、日本のイデオロギーでもあったと言えるでしょう。

実はここまで見てきた「権力格差指標」と「儒教」については、以前に【予定説】の記事でも書かせていただいていますので、今回はおさらいの意味も込めて書いているのですが、個人的には何度書いても足りないくらいに重要だと考えています。

また、儒教が本当の意味で日本に入ってきたのは戦後から10年経過する1955年だ、と力強く述べる「知の巨人からの学び」も置いておきます。それくらい儒教が私たち日本人に影響を与えている、ということだと思っています。無論、決して良くはない意味でです。

ではあらためて「儒教がもたらす良くない影響」について、あくまでも簡単に見ていったうえで、話を前に進めます。

儒教がもたらす良くない影響

  • 儒教は「徳」を重視する一方で、厳格な階級制度を正当化することがあり、このせいで社会の「上下関係が固定」され、転職などを含む個人の社会における移動が制限されてきた

  • 儒教は伝統と秩序を重視し過ぎるために、新しい考え方・技術の導入に対して保守的で、古い慣習に固執し改善も改革も進まない

  • 儒教は家庭内の役割を明確にするが故に、「女性に対する従順さ」を強く求めすあまり、女性の社会進出や平等さが阻まれた

  • 儒教は個人に高い道徳基準を求めるため、個人が自己の道徳的欠陥を感じやすく、心理的なプレッシャーやストレス、自己評価の低下を引き起こす

「無くならないスジの悪い仕事問題」の真因

ここまでをまとめれば、

  • 権力格差による心理的な抵抗が、部下の意見や新しいアイデアの提案を抑制し、結果的に非効率な仕事が是正されない原因となっている

  • 儒教による保守的な文化が、伝統や秩序を重視しすぎることで、変革や改善の機会を失わせ、組織の革新性を阻害する根本的な要因となっている

  • こうして管理職が「管理」しかできない状況が生み出され、能力開発などの教育の欠如を生み、組織全体を停滞=衰退させていく

つまるところ、この問題の真因は「管理職が変革を推進するリーダーシップを持たないため、組織全体の変革が進まず、無意味な仕事が残り続ける」ということになっているのだろうと思います。

若手からの依頼

これを書いている2024年6月末において、若手の味方で有名(無名)なコミュリーマンの中の人である私は、とある若手の依頼を受けて、とある企業の組織改革のお手伝いを「ガチり」始めました。

私は二十代の頃に巨大なエネルギー企業で営業職をしていたものですから、伸びる企業と死につつある企業は、従業員の表情を見ればわかります。「あいさつ」一つ取っても全く違うのです。

当該企業は誰もが知っており、彼の所属は数年前まで言わば「イケイケ」に事業規模を拡大している部門に属している部署です。当時の事業部長はドヤリにドヤっていたと、現事業部長は嘲笑気味に語ってくれました。

訪問時の私の印象を率直に言えば、「お粗末」という言葉しか浮かびませんでした。その直後にアメリカのジャーナリスト、マルコム・グラッドウェルの著書『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』が頭に浮かびましたね。「これは『第1感』が外れるわけがないケースだ」、と。

さて、どうしたものか。

実は訪問前に話を伺っている時点で、おそらく取るべき選択肢、あるいは歩むべき道と言っても良いと思うのですが、どちらにせよそれは一つであろうということはわかっていました。

そう、「マキャベリズム」の応用です。

しかしこの概念は、言葉にするだけでも誤解を生んでしまう強烈な思想ですので、まずはしっかりとその解消に努め、そのうえで私が現在取り組んでいる「マキャベリズムの応用方法」について述べたいと思います。

マキャベリズム

1532年の刊行以来、これほどまでに「悪評を得た書籍」は無かったのではないでしょうか。その内容は露骨で冷酷な政治理論が多く、幾多の批判を受けてきたとされています。

この書籍を思い浮かべるとき、ヒトラーやスターリン、ポル・ポト、ムッソリーニ、サダム・フセイン、金正日らを連想する人もいると言います。

今日、私たちが「マキャベリズム」や、その思想を持った活動家「マキャベリスト」について語る際、それは危険な野心家や悪だくみをする集団という、どうにも怖いイメージを抱くことがほとんどかもしれません。

しかし、それらのイメージは「正しくはない」のです。

なぜなら、イタリア・ルネサンス期の政治思想家ニッコロ・マキャベリが主著『君主論』を書いた時代背景を理解せずに、「マキャベリズムなんてただの危険思想だ!こんな思想が書かれた『君主論』なんて読んではならん!」という思考停止した拒否反応に陥って、「危機に瀕した際に国や組織が取り得るオプションをみすみす手放してしまう」というのは、どうにも馬鹿げた態度である可能性、危険性があると思うからです。

当時、フィレンツは列強諸外国からの介入を受けていました。1494年のシャルル八世によるフランスのイタリア侵攻を始め、主だったところだけでスペイン、神聖ローマ帝国といった外国の軍隊が介入してきて、戦争が巻き起こっていました。そうした諸外国の軍勢と比較して、フィレンツの軍事的虚弱さは如何ともしがたく、外交官として働いていたマキャベリは10年以上に渡って諸外国・諸都市を訪問し、何とか共和国を「支えようと奮闘し続けた」のです。

中でもマキャベリはチェーザレ・ボルジアに強い感銘を受けたようです。

チェーザレは教皇アレキサンドル六世の庶子で、その教皇は北イタリアで圧倒的な権力を持っていましたから、マキャベリの故郷であるフィレンツェにとっては最も危険な敵です。

立場からすればボルジア家とは距離を置くべきですが、マキャベリはチェーザレの勇気、知性、能力、特に「結果を出すためには非情な手段も厭わない」という状態に大きな感銘を受け、ひたすら道徳的・人間的であろうとするために戦争にからっきし弱かったフィレンツェのリーダーたちに、チェーザレの思考様式・行動様式を学んでほしいと考えました。

これが『君主論』執筆の中核となるモチベーションでした。

果たせるかな『君主論』は、マキャベリの死後1532年に出版され、メディチ家のロレンツォ・デ・メディチに献呈されました。

結果や如何に。

これはおわかりでしょう。マキャベリの意図とは裏腹に『君主論』は、冷酷で無慈悲な政治手法を奨励する書として広く誤解され、その名声は時を経るごとに一層の悪評を呼ぶこととなりました。ですから今日においてなお、彼の思想は単なる権謀術数に過ぎないと見なされがちなのです。

なぜ、どこが、誤解されてしまったのでしょうか?その謎を紐解いていきましょう。

誤解

「愛されるリーダー」と「恐れられるリーダー」、どちらが優れているかは、人類の歴史を通じて議論されてきた問題です。

マキャベリは『君主論』の中で、端的に「恐れられるリーダーになるべきだ」と主張します。

マキャベリズムとは、すなわち、マキャベリが君主論の中で述べた、君主=リーダーとしてあるべき振る舞いや考え方を表す用語です。

では、その内容とはいかなるものか。平たくまとめれば、「どんな手段や非道徳的な行為も、結果として国家の利益を増進させるのであればそれは許される」、というものなのです。

この本が当時も今も私たちに衝撃を与えるのは、これほどまでにあけすけに、「タテマエとホンネ」のうち、ホンネでリーダーのあり方を語る言説がほとんどないからです。

ウソかマコトか、ナポレオン、ヒトラー、スターリンらは、眠る前にベッドで君主論を読んだと言われていますから、理想の実現のためには犠牲はいたしかたないと考えようとした独裁者にとって、この本はバイブルのような位置づけだったのかもしれません。

そしてこの点が最も大事なのですが、それは「リーダーシップには文脈依存性がある」ということです。

つまり、「どのようなリーダーシップのあり方が最適なのかについての答えは、状況や背景によって変わる」、ということです。

ここで注意しなければならないのは、 マキャベリは、「どんなに非道徳的な行為も権力者には許される、などと言ってはいない」、という点です。

ここが、マキャベリズムについてよく勘違いされている点なので注意してください。

マキャベリは、「より良い統治のためには非道徳的な行為も許される」、と言っているだけです。つまり、「その行為がより良い統治という目的にかなっているのであれば、それは認められる」と言っているだけで、「憎しみを買い、権力基盤を危うくするような不道徳さは、これを愚かな行為」として批判しています。

具体的には、例えばマキャベリは、ある君主が他国を征服する際には、一気圧縮に必要な荒病状を断交してしまい、日ごとに恨みを蒸し替えされたりすることのないように、と注意しています。

この指摘は、大規模なリストラを初期段階でやってしまう方が、小分けに何度も痛みを伴うような小規模のリストラをやるよりも上手くいく、という企業再生の鉄則とも符号します。

リストラと言えば日本では単なる「人員整理」になってしまっていますが
、しかし本来の意味は「Re-Structuring」であって、すべき主たる目的は「組織の再構築」であり、それを私は今回「組織改革」と申し上げています。

つまり、マキャベリは不道徳たれと言っているわけではなく、「冷徹な合理者であれ」と言っているだけで、 時に「合理」と「道徳」とがぶつかり合う時には、「合理を優先せよ」と言っているだけなんですね。

今日の文明社会で生を営んでいる私たちの多くは、マキャベリズムに対しては強い嫌悪感、拒否反応を示します。

しかし、マキャベリの主張は、まさに国家存亡の危機において求められるリーダーについて書かれたものだということを忘れてはなりません。

これを逆に言えば、私たちが日常的に求められるようなリーダー像というのは、国家存亡の時に私たちを導いてくれるような人物なのか、 ということについても疑問を投げかけます。

先述した通り、リーダーシップには文明依存性があります。ある状況においてうまく機能したリーダーシップが、全く別の局面においても機能するとは限りません。

Zero Step:三人揃える

さて、ここまでご説明を試みても、「それでもマキャベんのはけしからーん!」と仰る方はいらっしゃる。ですから最後に、私は「組織改革には三人のリーダーが必要であり、三人のリーダーシップを発揮する順番が最も必要である」ということを述べていきたいと思います。

まずは僕へ依頼してくれた若手に追加して、もう二人選出してもらい、「三名体制」が取れるようにしました。三人いなければ「面」にならず、さらに私は現場の人間ではないので、私の身体がそこに無い状態でも「改革を維持・促進」できるよう、面としての人選・下準備はとても大切です。

そしてここからマキャベリズムとは別に、もう二つの「リーダーシップスキル」についてお書きしていきますし、そしてイメージしやすいように、三人の日本の偉人で喩えて当記事をまとめます。

First Step:マキャベリズム代表「織田信長」

織田信長タイプのリーダー「脅威や原因を排除する」

  • 特性:革新的、果断、時には強硬な手段を用いる

  • 役割:組織の障害を排除し、改革を進めるための道筋を切り開く

今回、私が取る初手がこのリーダーシップを用いた「破壊者」です。

所属する全員に1on1をさせていただき、現状の把握と原因を仮説立てし、問題を作成します。このStepは既に半分を終了させており、悪影響をもたらしている特定の数名と、特定の事象は見えてきています。

私がこの役割を終えるときのために、この役は私へ依頼してくれた若手が担えるように育成支援も続けていきます。

「組織改革」は、ほとんどの場合において事業部長と呼ばれるレイヤー(あるいはその一つ下のレイヤー)以上を動かす必要があるため、報告会や報告物については効果的に活用せねばなりません。プレゼンスキルとネゴシエーションスキルを持った人に参画していただくと、より成功率が高まりますのでお薦めします。

今回はそれも私が担い、若手もできるよう一緒に準備・練習の段階から密に会話をしていきます。(だからnote書く時間が減っているという言い訳はしません)

Second Step:コミュ力代表「豊臣秀吉」

豊臣秀吉タイプのリーダー「従業員のモチベーションを高める」

  • 特性:優れたコミュニケーション能力、共感力、信頼構築力

  • 役割:従業員との対話を重視し、組織全体の士気を高め、最終的にエンゲージメントを醸成する。同時にスピードとフットワーク力が必須

「アタマのキレ」が欠かせません。私が話している最中に「たぶんこいつ(私)はこういうことが言いたいんだろうな」と理解に努める姿勢は、相手の表情や挙動から見抜くことができます。本当です、日々少しづつコミュニケーション力を磨けば、さほど時間をかけずに身に付けることができるスキルです。

豊臣型のリーダーシップスキルも育てることが可能ですが、しかし今回は「死に体の組織を改革」する必要があるため、時間がかなり限られています。(けっこうやばい)正直「適任者が居ない場合はこちらから連れていないとな」と思っていたところ、本当に運よくその素養を持った若手がいてくれたので助かります。(しかも僕の事務方サポートも進んで買って出てくれて、今回は動き出しから運に恵まれています)

Third Step:サーバント代表「徳川家康」

徳川家康タイプのリーダー「長期的な安定を図る」

  • 特性:慎重な判断力、長期的視野、安定したリーダーシップ

  • 役割:組織改革後の安定と持続的な発展を図るための方針を打ち立てる

サーバントリーダーシップについては以下を参照ください。やる気さえあれば、マインドセット次第ですぐに習得に向けて変容していくことが可能なスキルです。

少しばかり凡庸なタイプの人でも大丈夫です。当然ながら私も凡人ですしね。機嫌に左右されたり、承認欲が強い人やプライドが高い人、マウンティングしがち、そのような「変なクセ」がなければ大丈夫です。そもそも前提が「周りにサポートしてもらう」というリーダーシップスタイルなので、ぜひ多くの人が知ると良いかと思います。

安定期の到来が一週目のゴールです。しかし、安定したら人は必ずまた「変なこと」をしだすので、ですから常に三人を置いておく必要がある、と私は考えています。

最後に


戦国時代は、道徳やら人間性やらと言っていられない乱世という時代だったわけですが、では私に今回依頼をくださった企業はそのような乱世の状態にあるのか?「YES」です。

クソ上司が自分の部下を単なる便利使いとして利用し、クソ部下として育て上げる。クソ部下もまた誰かのクソ上司というレイヤー構造なわけですから、さらにクソ部下を生んでいる。

こうして「無くならないスジの悪い仕事問題」を生み出し、個々人の余裕を無くし、意見を圧殺し、クソコミュニケーションを蔓延させてきたことで、現在のような窮地にまで陥ってしまいました。

しかしそんな中でも、腐らずに僕に声をかけてくれた若手がいた。

こうやって私たちは、「次に繋いでいく」のかもしれませんね。




僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ2.問題作成:なぜおかしいのか、なにがおかしいのか、この理不尽を「問題化」する。

キーコンセプト25「権力格差」
キーコンセプト26「マキャベリズム」

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