サーバントリーダーシップの可能性

すでにいろんなところで言われていることですが、私たちの寿命は伸長しつづけており、近い将来に「寿命百年」という時代がやってくる可能性があります。

一方で、さまざまな環境変化要因によって、知的生産のパフォーマンスのピークが若年化する傾向も明らかとなっています。AI関連の人材の争奪戦は壮絶なことになっており、先日、米国の某企業が初任給に40万ドルを提示したことが話題になっていましたね。

しかし、こうなってくると、私も含めた年長者は、組織や社会においてどのような貢献ができるのか?という問題が浮上することになります。

いろんな考え方があるかと思うのですが、その問いに対する一つの回答として、

サーバントリーダーシップの発揮によって

というものが考えられます。

サーバントリーダーシップは、もともと米国のロバート・グリーンリーフによって提唱された概念です。グリーンリーフはキャリアのほとんどを通信会社AT&Tで過ごしながら、在野の研究者としてマネジメントとリーダーシップに関する考察を深め、それまで米国で優勢だった「支配型リーダーシップ」が機能しない時代がやってくることを指摘し、権力に頼らない「支援的なリーダーシップ」としてサーバントリーダーシップという概念を提唱しました。

グリーンリーフは、AT&Tという、当時世界でもっとも大きい会社の一つに所属しながら、在野のアマチュア研究者として「これからのリーダーシップのあり方」についての考察を深めました。その後、グリーンリーフはAT&Tを早期退職したのち、教育コンサルタントとして第二の人生を歩みはじめ、60歳になるときに応用倫理研究センターを設立し、以降1990年に亡くなるまで、ハーヴァードを始めとした大学での教鞭や執筆を通じて、サーバントリーダーシップの普及支援に努めました。

グリーンリーフの提唱したコンセプトは現在でも高く評価されており、例えば「学習する組織=ラーニングオーガニゼーション」研究の第一人者であるピーター・センゲは、グリーンリーフの著書『サーバントリーダー』を「リーダーシップを本気で学ぶ人が読むべきものはただ一冊、本書だけだ」と評しています。

グリーンリーフの人生は「シニアの生き方」のお手本

このグリーンリーフの人生そのものが、これからの「シニアのあり方」について、大きな示唆を与えてくれるように思うのですね。

当時、世界で最も大きい企業の一つであったAT&Tに勤めながら、在野の独立研究者としてリーダーシップとマネジメントの研究を続けたというのは、いまでいうパラレルキャリアの走りだったと考えることができます。

また、ともすれば知的刺激が少なく、経験の質が劣化しがちな大企業に務めながら、片方ではマネジメントとリーダーシップの研究によって、キャリアを通じて常に「読み、考え、書く」ということを継続してきたことで、汎用性が高く、簡単には時代遅れにならない種類の結晶性知性を構築し続けたであろうことが伺われます。

その考察の末にサーバントリーダーシップというコンセプトに行き着いたグリーンリーフはAT&Tを早期退職してポジションを後陣に譲ったのち、自分が価値あると考えるコンセプトの普及をライフワークとして研究所の設立、教育機関での講演、執筆などで忙しくも充実した時間を人生の最後まで送ることになります。

安定した職業につきながら知的に怠惰な生活に堕することなく学び続け、学んで得た結晶としての「叡智」を後半生になってバラまくことに捧げ尽くした、という人生のモデルは、シニアの在り方について大きな示唆を私たちに与えてくれるように思います。

従来のリーダーシップとサーバントリーダーシップの違い

さて、ではグリーンリーフの主張したサーバントリーダーシップとはどのようなものでしょうか?

次の図は、従来型リーダーとサーバントリーダーがどのように違うかをまとめたものです。従来型リーダーの項を読めば、これはいかにも昭和型の「管理職」のイメージであることがわかります。

このようなリーダーシップが、やがて機能しなくなるであろうことを1960年代においてすでに指摘したグリーンリーフの慧眼には驚かされます。

両者の対比を読めばすぐにわかる通り、支配型リーダーが自分の立脚点としているのは、「自身の経験に基づく有能さ」です。

前提となっているのは「自分は部下よりも経験・知識の両面において優れている」という認識であり、だからこそ「思考し、命令するのは自分」であり、「命令に従い、実行するのは部下」だということになっています。

しかし、このモデルは環境変化が激しく、過去の経験や業務知識が十年と経たないうちに使いものにならなくなるような時代においては全く機能しません。

現場の実情や市場の競争状況と乖離した過去の知識や経験をもとにして独善的に指示するばかりで、現場からの声を傾聴することがなければ、やがてその組織の士気はこれ以上ないほどに停滞し、組織メンバーは「なにを言ってもムダだ」という無気力状態に陥ることになるでしょう。筆者の見るところ、これは特に日本の大企業の多くで起きていることだと思います。

この「現場での経験や知識が、管理職になったときの自分の権威=オーソリティの形成に繋がらない」という時代は、グリーンリーフの予言通り、20世紀の後半から21世紀前半の現在にかけて、多くの企業の現場で起きていることだと思われます。そしてこの構造変化は、当然のこととして「オッサンの地位の劣化」を招くことになります。

環境変化に合わせた知識のアップデートを怠るような知的に怠惰な管理職の知識や経験は、すぐに腐って不良資産化します。この「腐った知識」をもとにして部下に指示を出し、その指示通りに部下が動けば、組織のパフォーマンスは低下して管理職としての成果責任を問われ、その逆に、部下がその指示を無視し、勝手に動けば「このクソ部下どもが言うことを聞かねえ」とフラストレーションを感じることになり、いずれにせよ強いストレスを抱え込むことになります。

この問題を解決するには、リーダーシップのありようについて、現在の私たちが趨勢として有している「支配的リーダーシップ」という枠組みから離れることが必要です。

リーダーは人格・見識・知識・経験のすべてにおいて部下より優れており、リーダーは部下について指示命令を下し、部下はリーダーの指示命令を実行するものだ、という組織モデルの在り方そのものを書き換える、いわば

リーダーシップのパラダイムシフト

を起こすことが必要だということです。

若手がリーダーシップを発揮する組織へ

さてここまで、これからのシニアの存在意義は「サーバントリーダーシップの発揮」にかかっている、という指摘をしました。このように聞かされればば、サーバントリーダーシップの獲得と発揮について、その責任は一方的に年長者の方にあるように思われるかもしれません。

もちろん、それはそれで半分は正しく、サーバントリーダーシップの発揮については、当の年長者側が、これまでの支配型リーダーシップのパラダイムから離れ、組織や社会における自己の存在意義について、メンタルモデルを改める必要があります。

しかしでは、年長者たちが、指摘したようなメンタルモデルの書き換えをおこない、サーバントリーダーシップを発揮しようとしたとして、我が国の状況が変わるかといえば、それは難しいと思います。

なぜなら、年長者たちのサーバントリーダーシップによって支援される側の若手側の方で、リーダーシップを発揮している人がごく少数だからです。

動き出さない人は支援できない

サーバントリーダーシップのエッセンスは「支援」です。

リーダーシップを発揮してイニシアチブを取ろうという若手・中堅に対して、年長者ならではの人脈・金脈・ポジションパワーを持ち出して、この若手・中堅を「支援する」というのがサーバントリーダーシップの基本的なカタチだ、ということです。

つまり、これは「イニシアチブをとって動こうとする若手・中堅」の存在を前提にしたモデルであり、そのような若手・中堅が出現してこないことには、年長者としてもサーバントリーダーシップを発揮しようがありません。

よく勘違いされていることですが、リーダーシップというのは「個人の属性」ではありません。

例えば「あの人は論理思考に長けている」とか「あの人はプレゼンが上手だね」という言い方をしますが、これらは能力であり、個人の属性に関する言及です。

同じようなニュアンスで「あの人にはリーダーシップがありますね」という言い方をすることがありますが、これは言い方としては正しくありません。実際には「周りの人はあの人にリーダーシップを感じていますね」というべきであって、ある個人に内在的にリーダーシップという属性が備わっているわけではないのです。

つまり、リーダーシップというのは「関係性」に関する概念であり、一種の現象だ、ということです。関係性の問題である限り、リーダーが変わるだけではリーダーシップは変化しません。リーダーシップのありようが変化するためには、リーダーとフォロワーの両方がともに変わる必要がある、ということです。 

サーバントリーダーはバカでも構わない

サーバントリーダーとフォロワーの関係性について、もっともわかりやすいのが南極探検隊を組織した白瀬矗と大隈重信の関係性です。

国際関係の緊張に伴い、資源確保の重要性について考えていた白瀬矗中尉は、それまで各国から手付かずだった南極にいち早く目を付け、探検隊を送って踏査することを企画、提案します。

当時、イギリスとノルウェイもまた同様のことを計画していたことを考えれば、この白瀬中尉のアイデアは、実に国際感覚に優れたものであったわけですが、残念ながらこの提案は文字通り「世迷いごと」として受け取られ、挙句の果てに「白瀬は南極に行くより病院に行った方がいい」などと揶揄されてしまいます。

しかし、そんな中、この提案に興味を示す大物が現れます。早稲田大学創設者の大隈重信です。

大隈は、周囲からキワモノ扱いされて煙たがられていた白瀬の提案に興味を示し、自身が運動して南極探検を実現させるべく、奔走します。

その支援のレベルがタダゴトの水準ではない。たとえば、南極への出発が用船問題の難航で遅延した際には、知人を自宅に招待して白瀬とともに用船確保の説得にあたったり、また自身が会長となる南極探検後援会を発足させ、政財界や新聞社の協力など各方面へ支援を呼びかけたりと、まさにもてる人脈・金脈を総動員して白瀬のイニシアチブをバックアップします。

つまり、極めて高水準のサーバントリーダーシップを発揮したということなのですが、この物語から得られる示唆深い教訓はまだあります。

ついに白瀬の念願が叶い、南極探検へと出港するというとき、大隈重信はつぎのようなアドバイスを白瀬に送ります。曰く

南極は地球の最南端にある。南洋でさえあれだけ暑いのだから、南極はさらに暑いだろう。暑さにやられぬよう十分に気をつけたまえ。

と。

これを聞いたときの白瀬中尉の気持ちはいかばかりであったか、このアドバイスへの本人の回答が記録に残っていないため、想像するしかありませんが、かなり複雑なものがあったはずです。

この人は、あれほど何くれとなく自分の探検計画を支援してくれたわけだが、南極というのがどういう場所なのか、全く知らなかったんだ・・・と。

しかし、それで構わない。つまり、サーバントリーダーシップは、部下が取り組もうとしている事業について無知で合っても、十全に発揮することができる、ということです。

イノベーションにはバカと大物が必要

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