#002【わがままに生きたっていいじゃない】人生はオプションフリー
誰しも社会で生きていると、「やっぱりコミュニケーションって大事だよなあ」と感じた経験があるのではないでしょうか。
本noteでは
わがままに生きよう、もうちょっとくらい
をテーマに「自分とのコミュニケーション」と「人とのコミュニケーション」についてお伝えしていきます。
読んでくださる皆さまが、「本当になりたい自分を見つける」お手伝いをしていきたいと考えています。
少しづつやりたくないことを辞めて、やりたいことを始めるためのコミュニケーション方法を、一緒に学んでいきましょう。
コミュリーマンが伝えたい「わがまま」の意味
やあ!コミュリーマンです!
私は<前回の記事>で、コミュリーマンが考える「わがままに生きよう、もうちょっとくらい」というテーマについてご説明をさせていたきました。
もちろん、この社会の全ての人が文字通りの「わがまま=秩序を無視する」などという、そんな公序良俗に反するような生き方について語るつもりは一切ございません。
この「わがままに生きよう、もうちょっとくらい」というテーマをご覧いただいた方の率直なご意見としては
「わがまま?わがままはいけないと、親に教わらなかったのか?」
「好き勝手なことして、生きていけるわけないじゃないか!」
「今の会社なんて、わがまま言って辞めれるもんなら辞めたいよ!」
「社会は、世間は、世の中は、そんなに甘くないんだよ!」
などなど、第2回目の記事にしてさっそくの炎上になりそうな、そんな危険を孕んだメッセージをお伝えしている気さえしてきます。(大丈夫、この時点では誰もこの記事の存在など知らない)
結論から申し上げると、私が皆さまにお伝えしたい「わがままの定義」それは「自分の人生を、真に主体的に生きる」というものです。
どういうことか具体的な説明をするために、まずは改めて現時点の日本社会におけるわがままの定義を確認したいと思います。
例えば私のような「ホワイトカラー」と呼ばれる企業でサラリーマンとして働いていると
「年長者の言うことを聞かない人はわがままだ」
「上司や先輩の言うことを聞かない人はわがままでしょう」
「前例のないことにチャレンジする人、慣例に従わない人はわがままよ」
こういったイメージを持っていらっしゃる方が多いのではないかな?と思います。
皆さん、いかがでしょうか?皆さんの周りにこういった方はいらっしゃいますか?
では、もう少しだけ掘り下げて考えてみたいと思います。
ここでは皆さんが働く会社・職場での「わがまま」な人をイメージしていただきたいと思います。
いったんこのブログを読むのをストップして、実際に考えてみてほしいのです。
1分程かけて実際に「わがまま」な人をイメージしてみてください。
次に、もう一つ質問です、「皆さんの職場、わがままな人は多いですか?少ないですか?」
ここでは、「どちらでもない」という回答ではなく、「多いか?」「少ないか?」この二択で考えていただきたいと思います。
また1分程かけて実際に「多いか、少ないか」イメージしてみてください。
いかがでしょうか?
おそらく「少ない」という方が大半なのではないでしょうか?
日本にはこの手の研究やデータがあまりない(予算面の問題が大きいため)らしく、提示できるデータを探すことができなかったので、ご判断は皆さんお一人おひとりにお任せしたいと思います。
ということで、ここからは仮説として「私たちの職場に、わがままな人は少ない」という前提でお話を進めてみたいと思います。
では、なぜ私たちの職場にはわがままな人が少ないのか?これはおそらく深く考えるまでもないような気さえしてしまうのですが、結論は以下の通りだと考えられます。
「わがまま=常識の無い人だと思われるから」
いかがでしょうか?
ここまで読んでくださった多くの方は、おそらくこう思われるのではないでしょうか?
「こいつは何をずっと当たり前のことを言っているんだ?」
いかがでしょうか?(いかがでしょうか?が多いよ)
ここまで読んでくださった皆さんであれば、おそらく皆さんご自身は「職場においてわがままな人ではない」と思います。
質問が多くなってきたので、次をこの項での最後の質問とさせていただきます。
「皆さん、職場は楽しいですか?」
ご自身の胸に手を当てて、真剣に考えてみてください。
私に対しての反論をしていただくのも結構なのですが、大切なのは私への反論ではなく皆さんご自身の心の声です。(スピリチュアルのつもりはゼロです笑)
どうか、ご自身の心に真剣に問いかけてみてください。
そして、心から「職場が楽しくて仕方がない!」そう思える方は、どうぞここでこのnoteを閉じてください。(ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。)
もしも何かが「もやもやしている、、、」という方!
ここからが本題です!
お待たせいたしました!
ようこそ、note「コミュリーマン」へ!
そう、コミュリーマンは、このような多くの皆さんの持つわがままのイメージを「ぶち壊すお手伝い」をしたいのです。
新しい何かを始めるときは、古い何かを辞めることから始める必要があります。
これはそのまま「スクラップアンドビルド」という言葉で示されるように、老朽化して非効率な設備を廃止して、新しい設備におきかえることによって効率化などを実現することに例えられます。
2015年にベストセラーとなった、小説家の羽田圭介氏の小説「スクラップアンドビルド」では、主人公が古い自分をスクラップ(=壊す=辞める)し新しい自分をビルド(建てる=始める)していく様が描かれ、多くの人の共感を得ました。
あるいは、ドイツ出身のアメリカの心理学者で「社会心理学」の創始者として認められるクルト・レヴィンが提唱するいわゆる「レヴィンの三段階組織変革プロセス」では、「解凍ー混乱ー凍結」というプロセスで個人および組織の変化についての説明がなされています。
ということで、ここからは着せていた衣を歯から剝がします。
私は、企業の「レイヤー=階層」と「ヒエラルキー=階級」という構造など「クソ」だと考えております。(現役サラリーマンなのにとんでもないことを言うものですね、この人)
誤解のないように申し上げますが、決して「全否定」しているのではございません。
「ほぼ」全否定をしているだけに過ぎないのです。(同じように見えて大きな違いです)
これはあくまでも私の考えに過ぎないのですが、社長であろうが取締役会であろうが、これら以下本部長と呼ばれる方々から末端の社員、アルバイトやパートの方々に至る「ほぼ」全ての方々は、心のどこかで「クソ」だと感じたことがあるはずです。
しかしながら、ご存じの通りこれらの「クソだと思う感情=わがまま」が圧殺されることによって成り立っているのが、多くの会社から構成されている「社会」であることは、もはや議論の余地はあまり多くはないでしょう。
私がお伝えしたい「わがまま」は、“Oxford Languagesの定義” から読み取れる「ネガティブに思える部分の印象を弱め、ポジティブな部分を強調する」このようなイメージです。
もう少しご説明させていただくと、“相手・まわりの者の意に反して、無理な事でも自分がしたいままにする”上記の部分を強調する、そのうえで「したいほうだいでは、決してない」ということです。
これが「本当になりたい自分を見つけて、本当になりたい自分になるまで目指し続ける」ことに繋がっていくというのが私の主張です。
そうです、これこそが私自身が所属する愛すべきマス層の皆さまにお届けする、私なりの「シャウト」なのです。
どうすれば「自分の人生を、主体的に生きる」ことができるようになるの?
このタイトルに対する最初の解として、「本当になりたい自分を見つけて、本当になりたい自分になるまで目指し続ける」というメッセージをお伝えします。
ステップ1. 本当になりたい自分を見つける
ステップ1では、できる限りの時間を作って、その時間を使って本当になりたい自分を探します。
既に見つかっている人であれば良いのですが、まだ見つかっていない方にとってこれは簡単なことではありません。
なぜなら「やってみないとわからない」ことだからです。
そう、これこそが難しいんですよね。
人間には「現状維持バイアス」という、感情的なバイアスがあります。
皆さん、本当になりたい自分、見つかってますか?
おそらく、私を生み育んでくれた私と同じ大切なマス層の皆さんであれば、9割以上の方が見つかっていないのではないでしょうか?
「何て失礼なことを言うんだ!」
「こんな会社とっとと辞めて、私は自分のカフェをひらくのよ!」
「俺は昇進して良い時計・車・家を買って、家族と贅沢に暮らす!」
などなどなどなど、たくさんのご意見があると思っています。
なんなら皆さんの数よりも意見の数は多いと思います。
ではもう一つだけ質問です。
「それ、本当になりたい自分ですか?」
なぜこの質問をするのかというと、「本当に」という部分について様々な方のお話を聞いてきたなかで、「本当はそうじゃなかった」という方を多く見てきたからなのです。
したがって、ステップ1では出来る限りの時間をかけて「本当に」なりたい自分を見つけていただきたいと考えています。
人生は一度きりです。(なぞの宗教的なことは言いません)
時間は有限です。
「今」というこの一瞬のひとときは、二度と戻らないとても貴重なものです。
「なりたい自分が見つからない」「やりたいことがない」そう感じているなら、ほんのちょっと考え方を変えてみませんか?
ステップ1 「本当になりたい自分を見つける」ために=他ならぬ自分自身のために、そのために二度と戻らないとても貴重な「時間」を使いませんか?
家族や友人、同僚や上司、こういった方々との時間が不要と申し上げるつもりは毛頭どころか1クーロン(素粒子の単位らしい)さえございません。
ただし、「自分」を大切にしていてこそ、皆さんの大切な方々のことを大切にできます。
このことを忘れてはいけないと、お伝えしたいのです。
だからこそこのnoteでは、「わがままに生きよう、もうちょっとくらい」をテーマに、「自分とのコミュニケーション」と「人とのコミュニケーション」についてお伝えしていきたいのです。
大切な大切な自分自身とのコミュニケーションについて、出来る限りのことをお伝えしていきます。
ポイント2. なりたい自分に「なる」ではなく「目指し続ける」
見つけた本当になりたい自分になるまで目指し続けます。
なりたい自分に「なる」のではありません。
「本当になりたい自分」になるまで目指し続けるということが「最も」重要です。
私の知人の例を挙げます。
おそらく皆さんのなかにも「思い当たる人がいる」「近い人がいる」という方はいらっしゃると思います。
知人Aさんは、子どもの頃からカメラマンになるのが夢でした。高校・大学とカメラと共に過ごし、知識を得てスキルを磨き、子供向け写真館やブライダルカメラマンのお仕事がくる「プロのカメラマン」になることができました。
これは10年ほど前のお話です。そんな彼女はいま、やりたくもない「電話を受けるだけの仕事」をしています。
なぜか?
カメラマンとして儲けることができなかったんです。
なんでか?
同じ夢を見て、同じ進路に進み、同じ仕事=同じゴールに辿り着いた人たちがあまりにも多い時期だったのです。
もちろん「儲けることができなかった」本質的な理由はこのことではありませんが、そういう時期であったとAさん自身が「感じた」ことは事実です。
つまり、写真撮影を希望する個人や企業あるいは子どもや新郎新婦という「需要」の数=儲け額の総数からすると、Aさんのような新人プロの写真家の数=「供給」が増えれば増えるほど儲からなくなってしまっていた、というのがAさんが感じた所感とのことでした。
ビジネスというものは、そのほとんど全てにおいて「需要」と「供給」で成り立っていることは、もはや私が説明する必要はないでしょう。
そうです、Aさんの感情としては、ゴールに辿り着いて「しまった」がゆえに、働けども働けども楽にならない生活に彼女は疲れ果ててしまったのだそうです。
皆さんの周りの方々はいかがでしょうか?
似たような方はいらっしゃらないでしょうか?
あるいは「皆さんご自身が近いご経験をされた」という方もいらっしゃるかもしれません。
誤解のないようにお伝えしなければならないのですが、なりたい自分になることが「ダメ」と言いたいわけではございません。
まして、カメラマンというお仕事で大成している方も、それなりの成功をされている方も多くいらっしゃいます。
この話の重大なポイントは、Aさんが「本当になりたかった自分」はどんな自分だったのか?ここにあります。
実は当時の彼女の本心としては、「カメラマンとして成功して富と名声を得て好き勝手できる生活をしている自分になりたかった」と、少し前に話してくれました。(飲みの席での笑い話としての後日談です。)
そうなんです、Aさんは「本当に就きたい仕事」に「就くこと」はできたのです。 しかし、その時期の問題も手伝ってか薄給で苦しい生活を送っていた彼女は、ある頃から気が付き始めました。 なりたい自分=カメラマンにさえなれば成功して富と名声を得て好き勝手できると思っていたが、世の中はそんなに甘くなかった、ということです。
この話、結果を知ってから考えてみると「当たり前のことじゃん!」と、感じがちかと思います。しかしながら、本当に当たり前なのでしょうか。私を含む多くの方が、当時の彼女とさして変わらないのではないか?という気がするのは、私だけではないのではないでしょうか。
成功するための方法「帝王学」
では、この章の締めくくりとして「それならAさんは最初から選択肢を間違っていたのか?写真家を目指すことがそもそも間違っていたのか?」という問いに対しての回答をお伝えしたうえで、「Aさんが本当になりたい自分になるのは不可能だったのか?」という問いにお答えします。
まず「それならAさんは最初から選択肢を間違っていたのか?写真家を目指すことがそもそも間違っていたのか?」について、さっそく結論を申し上げれば、私が考える回答は「否」です。
とても間違っていたとは思えません。
Aさんの本当になりたい自分が「カメラマンになる」ということであれば、その目標は彼女の長年の努力によって達成することができました。
なりたい自分になることを目指すことは素晴らしいことであり、否定のしようもありません。
ここでの問題となっていることは、Aさんの本心は「カメラマンとして成功して富と名声を得て好き勝手できる生活をしている自分になりたかった」これが彼女の心が求めていたものであることが、後になってわかりました。
この本心に早いうちに気付いていたら=初めから本当になりたい自分が目標としてあれば、、、ということは「たられば」になってしまうのでここまでにしておきましょう。
ではどうすれば良かったのか?
「Aさんが本当になりたい自分になるのは不可能だったのか?」この答えは非常にシンプルです。
しかし、私が申し上げるのでは説得力に欠けます。
したがって、とある著名な御二方のお言葉を引用をさせていただきます。
御一人目はこの方、毎年年末年始にテレビ放送される「格付け番組」で、彼の一挙手一投足を楽しみにしている人も多いであろう御方のお言葉です。(私もその一人です)
もう一つは、マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツ氏の言葉です。
マイクロソフト日本法人第2代代表取締役社長を務めた成毛眞氏が、30年ほど前に日本のインタビューでゲイツ氏が「こう答えた」と語っています。
いかがでしょうか?(いかがでしょうかおじさんですね、私は)
「失敗」は「成功」までの一本道にある「当たり前のこと」のように語るGACKT氏の言葉と、もはや「失敗」という概念さえないのか?と感じさせるゲイツ氏の言葉です。
GACKT氏は若き頃にとある人物に出会い帝王学を学び、ご自身が実践したうえで上記の「気づき」を得たそうです。
最後にもう一度だけAさんに話を戻してみます。
Aさんは、若いうちに本当になりたい自分を見つけることはできていました。なりたい自分にもなりました。つまり、人生の目標として考えてみると、「折り返し地点までは成功していた」と言うことができると思います。
しかし、「本当に」なりたい自分になることはできなかった。
なぜか?
「自分の人生を、真に主体的に生きる」そのために「本当になりたい自分を見つけて、本当になりたい自分になるまで目指し続ける」
GACKT氏、ゲイツ氏のいうところにいて「途中で諦めてしまった」という回答になると、私は考えています。
コミュリーマンが見ているビジョン
最後となりました、コミュリーマンが見ているビジョンです。
私の見ているビジョン、それは「デジタル・AI革命によって仕事を無くす多くの方々が、それをポジティブに捉えて本当にやりたいことにチャレンジできる社会に貢献したい」というものです。
産業の意味での仕事そのものが無くなると申し上げたいのではなく、デジタル・AI革命によって人手が減っていく=仕事を無くすという意味で申し上げています。
コミュリーマンの「最大のモチベーション」は、皆さんに「失業者」になってほしくないんです!
皆さんには「逃走者」になってほしいのです!(この点については次回の記事でご説明いたします)
高尚なことなど申し上げるつもりはないのですが、「私が社会に貢献できることはいったい何なんだ?」問うて問うてを繰り返しました。本当に禅を学び、禅問答をしました。そして、至った解の一つがこのnoteです。(実は別で全く異なるプロジェクトもしてます)
人手が減る=仕事が無くなってしまうのではなく、一緒に学んで、一緒にチャレンジして、皆さんと一緒に人生を楽しんでいければと考えています。
今はやりたいことが見つかってないかもしれない、本当になりたい自分もわからないかもしれない、でも、見つかるまで色んなことにチャレンジしていきましょうよ。
だって、人生はオプションフリーなのですから!
最後に
文字数が8,000字を超えて参りましたので、今回はここまでとさせていただきます。
長かったですが、私のチャレンジで最も重要なテーマについては、はじめに丁寧に説明する必要があると考えました。
前提や動機は先にご説明しておく必要があると思ったのです。
さて、次回は
「多くの仕事を失う方々ってなんだよ!」
「ふざけんな!適当なこと言うんじゃねえ!」
と、お怒りの感情だけを与えてしまった皆さんへ、「デジタル・AI革命」に端を発する「失業者」と「逃走者」ついてご説明いたします。
それでは、また次回です。
コミュ力上げて、モチベを上げよう!
それが、本当になりたい自分になる第一歩です!
ありがとうございました!
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