【カリスマ】「伝統」や「権限」より大切なリーダーシップとは何か
権力という代物は、とかく取り扱いが難しい。まるで刃物のように、使い方を誤れば自分も他人も傷つけてしまいます。
権力は必要不可欠である一方で、その悪用や乱用が問題を引き起こすことが多い。権力を持つ者がどのようにそれを行使するかが、組織や社会全体に大きな影響を与えるため、その行使には高い倫理観と責任感が求められます。
米国第16代大統領であるリンカーンは、共和党代表として初の国家元首となった人ですが、アメリカの歴史的なリーダーの人気ランキングを取ると、必ずと言っていいほど上位にその名を連ねるほどの、「カリスマ的」な人気・尊敬を集める人物でもあります。
リンカーンと言えば?と、こう問うと「人民の人民による人民のための政治をこの地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意する」という、かの有名な「ゲティスバーク演説」を思いだされることでしょう。
他にも「南北戦争」や「奴隷解放宣言」を思い浮かべる人は少なくないと思いますし、僭越ながら私自身リンカーンは優れたリーダーであったと理解はしています。
しかし、リンカーンは南北戦争中に北軍を指揮し、南部の奴隷制度廃止を推進して勝利を収めましたが、南部の人々は奴隷労働に依存してイギリスなどとの貿易で利益を得ていたため、その既得権を失うことに大きな不満を抱きました。
このことが文字通りの「引き金」となり、リンカーンというカリスマ的指導者は、南北戦争の終結を目前にして暗殺されてしまったのでした。
権威の三分類
「カリスマ」という言葉を、今日用いられるような形で最初に使用したのは、ドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバーでした。
ヴェーバーは、被支配者が、支配者へ服従するとき、彼らはいったい何に依拠しているのか?ということに対して、次の三つの拠り所を挙げています。
つまり、マックス・ヴェーバーの指摘に則れば、 人が、ある組織なり集団なりを支配しようとするとき、その支配の正当性を担保するには、「歴史的正当性」「カリスマ性」「合法性」の三つしかない、ということになります。
歴史的正当性
まず「歴史的正当性」とは、過去からの伝統や歴史に基づく支配体系を指します。この場合、リーダーシップを発揮する主体者自身の「能力」や「人格」といった、本来リーダーに求められる素養はそれほど重視されません。
初の携帯型カセットプレーヤーである「ウォークマン」や、世界初の家庭用ビデオカセットレコーダー「ベータマックス」などの革新的な商品開発と市場戦略によって成功を収めたのは、ソニーの創業者である盛田昭夫と井深大でした。しかし、後を継いだ経営陣は創業者のビジョンに固執するあまり、デジタル技術やインターネットの進展に迅速に対応できず、その結果、競争力が低下しました。
ホンダの事例を見ても、「ホンダ・スーパーカブ」や「ホンダ・シビック」など、本田宗一郎が自身の技術的ビジョンとリーダーシップで事業を成長させましたが、その後、経営権の移譲が順調に進まず、一時的に経営の硬直化が生じたとされています。
これはつまり、過去の偉大な業績や人物が作り上げてきた「後光」とも言える権威に頼ることで、現在の正当性を確保する、ということをしているわけですね。どこの組織でも本当によく目にする現象でしょう?
カリスマ性
次に「カリスマ性」ですが、ヴェーバーはこのカリスマを「非日常的な天与の資質」と定義しています。この定義からも明らかなように、カリスマ性を持つリーダーはそもそも稀少であり、組織においてカリスマ的リーダーの存在というのは非常に例外的です。そのため、組織は必然的に「カリスマ性のあるリーダー」から「カリスマ性のないリーダー」への移行を経験します。
カリスマ的リーダーが指導する組織では、報酬や罰則といった外部からの動機付けではなく、リーダーに対する内発的な動機、つまり「この人についていこう」という気持ちが駆動力となります。このようなリーダーの下では、細かなルール設定は不要、人々はリーダーの言動に注目し、そのビジョンを理解して積極的に行動します。
では、そのような「カリスマ性」を持っていたとされるリンカーン暗殺後のアメリカはどうなったのでしょうか。
リンカーンは南北戦争中に国家をまとめ上げたカリスマ的リーダーであり、多くの国民が彼に対して強い信頼と敬意を抱いていました。彼の暗殺により、そのリーダーシップが突然失われ、国民は精神的な支柱を失いました。副大統領のアンドリュー・ジョンソンがその後を引き継ぎましたが、彼の政策は議会内で対立を引き起こし、政治に混乱を招きました。
ジョンソンは権力の行使において、官僚機構を通じた命令を実行しました。彼は、命令に従わない場合に罰則を用いるなど、強硬な手法を採用することもあったのです。特に、南部の統治においては連邦軍を活用することで、秩序を維持しようとしました。
ジョンソン政権下では、黒人の権利保護が不十分であったため、南部では暴力や人種間の緊張が増加し、クー・クラックス・クラン(KKK)
の台頭も見られました。経済的には、南部の再建が遅れ、農業中心の経済構造の再編が進まず、経済的不安定が続きました。リンカーンが築いた信頼関係とビジョンが失われた結果、国家再建の一貫したビジョンが欠如していました。
ただただ「順番的に与えられた権力」では上手くいかない、ということなのかもしれません。
ヴェーバーの「権威の三分類」は、主に国家運営に焦点を当てたものですが、「カリスマ性のあるリーダー」から「カリスマ性のないリーダー」への交代が避けられない場合、「支配の正当性」はどのようにして担保されるのでしょうか。
ヴェーバーによれば、正当性は「歴史的正当性」か「合法性」のいずれかによって担保されます。このうち、リンカーンからジョンソンへのリーダー交代は、どちらに該当するのでしょうか。
合法性
合法性は、法的手続きや制度に基づく正当性を指します。ジョンソンが大統領職を引き継いだのは、合衆国憲法に従った合法的な継承手続きによるものであり、この点で彼のリーダーシップには「合法性」がありました。
しかし、結果はどうだったでしょうか?リンカーンというカリスマ的リーダーが亡くなった後、この「合法性」に基づくリーダーシップの交代では、確かに法的な「正当性」は担保されましたが、リーダーシップの観点から見れば、国民からの信頼を得ることはできませんでした。
1868年、ジョンソンは連邦政府の高官を任命する権限をめぐって議会と対立し、これが彼の弾劾に繋がりました。下院は彼を弾劾しましたが、上院での弾劾裁判ではわずか一票差で有罪判決を免れました。しかしこの裁判は、「アメリカ史上初の大統領弾劾裁判」として記録されています。
それならば、求められたのは「歴史的正当性」だったのでしょうか?
歴史的正当性とは、伝統や歴史に基づく権威を指しますから、リンカーンのカリスマ的リーダーシップは彼の個人的な資質や行動によって築かれたものであり、「歴史的正当性」とは異なります。
やれやれ、カリスマ的リーダーの喪失が組織や国家に与える深刻な影響の計り知れなさが、よくわかりますね。
しかしこれでは「どうすれば良かったのか」まるで光が見えません。
米国は、どうやって立ち直ったのか
実は、アメリカ合衆国大統領の任命プロセス自体が合法的支配に基づいているわけですが、では、ジョンソンに代わって米国を立て直したのは、いったいどのような「支配の正当性」を担保し、どのような「リーダーシップ」を発揮した人物だったのでしょうか?
第18代アメリカ合衆国大統領を務めたユリシーズ・S・グラントは、1868年の大統領選挙で共和党の候補者として当選し、1869年から1877年までの8年もの間、大統領を務めた人物です。
そのグラントは黒人の権利保護に努め、彼の政権下で第15修正条項が採択され、黒人男性に選挙権が与えられました。南部の再建を進め、クー・クラックス・クランの抑圧にも取り組み、1871年の「クラン法」の施行により、連邦政府の権限で暴力団体を取り締まりました。経済的な困難にもかかわらず、グラントはインフラの再建と産業の発展に努め、戦後の経済回復に寄与しています。
おや?どうやらリンカーンの理念を継承しているように見える?では前任の第17代大統領であったジョンソンも、グラントと同じようにリンカーンの真似をしていれば、果たして上手くいったのでしょうか?
おそらくは、否です。
実はこのグラントという人物、南北戦争の際にその高い能力を当時の大統領リンカーンに買われ、北軍(つまり現在の合衆国)の総司令官に任命された元将軍です。
彼はいくつかの戦果を挙げ、そして1865年4月9日、南軍のロバート・E・リー将軍をアポマトックス・コートハウスで降伏させたことで、事実上南北戦争を終結させました。この勝利により、グラントは英雄的な存在となります。
リンカーンは国家の統一と奴隷制度の廃止という明確なビジョンを持ち、その目標に向かって一貫して行動したことで知られていますが、グラントもまた、「南北戦争」「アメリカ再建期」において、明確な目標を持ち、戦略的に行動することで成功を収めたとされています。
また、決断力に富んだリンカーンは、優れたコミュニケーターでもあったため、その説得力ある言葉で多くの人々を動かしました。そしてグラントも、軍内外での効果的なコミュニケーションを通じて信頼を築き、決断力あるリーダーシップを発揮したといいます。
つまりグラントは、リンカーンのリーダーシップに影響を受け、リンカーンの「カリスマ性」を学び持ったうえで、リンカーンの理念を継承したからこそ、混乱期のアメリカを立て直すことができたのだと、私は考えています。
・・・余談ですがグラント政権はその後、汚職やスキャンダルに悩まされているため、彼の評価は賛否に分かれています。彼は「混乱期からの立て直し」に秀でたリーダーだったのであろう、ということも付しておきます。
絶望の中の光
さて、「歴史的正当性」が「後光」頼りで個々の能力を重要視しない、というのが通用したのは昭和を終わらせることのできなかった平成までです。現代である令和=VUCAと呼ばれる不確実で曖昧な世の中では、このような甘ったれた「歴史的盲信性」は、もう通用しません。
では重要なのは「合法性」なのか?というと、上意下達をルール化して、命令に従わない場合は罰則を与える、という「官僚機構」によって支配の正当性を担保せよ、という方法は現在の組織運営のトレンドとはまったくフィットしません。がんじがらめの官僚機構が、現在の社会で優秀な人材を引き付け、動機付けられるかというと、まず不可能でしょう。
こうなると、結論は一つです。
今後、望まれるのは「カリスマ性」による支配ということになるわけです。
が、とは言えヴェーバーの定義によれば、「カリスマ」というのは「非日常的な天与の資質」を持った人物ということですから、それほどたくさんいるわけではない。
結局のところ、私たちは、この数少ない「カリスマ性を持った人物」を、どれだけ「人工的」に育てられるかどうか、ということにチャレンジしなくてはならない、ということになるのではないでしょうか。
こうなると、非常に難易度が高く感じられるかもしれないわけですが、ポイントを挙げれば、それは決して難しいものではないのです。
そのポイントとは何か?
それは「共感」です。
私たちは「カリスマ」について、その「カリスマ個人」の属性にこそパワーの源があると考えてしまいがちなのですが、しかし実はこれ、「論理が逆立ち」しているのです。
実際にはそうではなく、そのカリスマ個人にパワーを与えているのは、その人物が示す言葉やビジョンへの「共感」であり、さらに言えば共感した人々の心に生まれる「この人に着いて行こう」という衝動、つまり私たち一人ひとりが持つ「フォロワーシップ」なのです。
私はサラリーマン講師なので、色々な企業の人材育成のお手伝いをしていると、よく「自分には権限がないので・・・」という理由で、自身が思っていることを「言おうとしない」「やろうとしない」人に多く出会います。
しかしでは、その人は権限を手に入れたら何かを始めるのでしょうか?
いいえ、私はそう思いません。今日、自分の判断で動き出さない人は、明日、パワーを手に入れたとしてもやはり動き出しません。
むしろ全く逆で「パワーがないからリーダーシップを発揮できない」のではなく「リーダーシップを発揮しないからパワーという現象が発現しない」のです。
すでに述べたように、リーダーシップというのはパワーによって生まれるものではない。パワーというのは問題意識やビジョンを打ち出すことで喚起される「他者の共感」によって生まれます。
過去の歴史において偉大なリーダーシップを発揮した人々、たとえばソクラテス、イエス・キリスト、キング牧師、マハトマ・ガンジー、吉田松陰、坂本龍馬などを見ればよくおわかりいただけることでしょう。
彼らは社会や組織の中で合法的に、あるいは世襲的に「後光」のパワーを与えられた人々では決してない。ただ、自らの問題意識に基づいて世界に向けて耳を澄まし、目を凝らし、行動した人たちなのです。
その行為にインスピレーションを受けた、私たちのような一般の多くの人々が、彼らのような「唯の人」を、歴史上稀に見るリーダーにトランスフォームさせたのです。
自分のビジョンを語り、それに共感する人々が出てくることでそこにリーダーシップとフォロワーシップが民主的に生み出される。その関係性が生み出すパワーが、これからの世界を変えていくための大きな原動力になっていきます。
こうやって少しづつ、少しづつ培っていく「パワー=権力」こそが、自分や他人を傷つける権力ではない、社会に残存する大きな問題を解決する上で求められるパワーを生み出す、唯一の「源」になっていくのではないでしょうか。
願わくば、当記事を読まれた読者の皆さまが自らの問題意識とビジョンに基づいて、まずは「ほんの小さなリーダーシップ」を発揮し、そのリーダーシップによって迸るような輝くパワーが生み出されんことを祈っています。
私も一緒に声を上げます。
終わりに
私は幸運にも「自分の人生をかけて学びたいカリスマ性を持ったリーダーに出会いました。山口周氏ですね。お師匠さんと勝手にお呼びしています。
テクノロジーの進化により、目標とする人を見つけてその人を追いかけることはとても容易になりました。インターネットやSNSを通じて、リーダー=ロールモデルの考えや行動に直接触れることができるのですから[1]。
フィジカルな距離や経済的コストが大幅に削減されていることを踏まえれば、Net Present Value(NPV: 正味現在価値)的な視点で考えると、学習効率や効果も大幅に向上しているのですよ?今すぐやらない手はないと思うのですが・・・。
皆さんの人生における、リンカーン的な「カリスマ性」を持つ人さえ見つけることができれば、少しばかり時間はかかるけれども、あなたはグラントになれるんです。(え、グラントって誰だって?)
[1]
だからと言って、「立派なことだけを言わねば!」というのばっかり感じさせてしまうのは嫌で、「好きに今を行こう!コンサマトリー!」も超大事だと思っております!←言いたいこと書いたので、あとは「戦略」ですね♪
僕の武器になった哲学/コミュリーマン
ステップ2.問題作成:なぜおかしいのか、なにがおかしいのか、この理不尽を「問題化」する。
キーコンセプト23「カリスマ」