見出し画像

【ペルソナ】ビジネスと自己、仮面の裏の真実

私たちは、皆「仮面」を被って生きています。

職場におけるプロフェッショナルな仮面、社外コミュニティにおいての仮面、家庭内でのプライベートな仮面、SNS上での仮面、人はそれぞれ建て前と本音との狭間を、この仮面を被ることで演じ分けるよう努めています。意識的にか無意識的にかは関わらず、です。

例えばエリートとされる人たち、彼らは常に冷静で、仕事の能力が高いという印象を与えるために、ストレスや不安を表に出さない。しかし実際には、自身より評価が高い人らの成績に圧倒されたり、不安に感じたりしているものです。だからこそ、プロフェッショナリズムを保つために更に仮面を深く被ってそれらを隠します。

例えば家庭というプライベート空間、家族に対して強くて頼りがいのある姿を示す。しかし本音は、家族に負担をかけたくないために自分の悩みや感情を抑え込んでいたりします。だからSNSに逃避しその仮想空間上では仮面を被ってより良い自分を演出します。幸福で充実した生活を演出しポジティブな面だけを強調する、といった人たちが後を絶ちませんね。

この仮面のことを心理学では「ペルソナ」といいます。私たちがもつ人格のことを英語ではパーソナリティといいますが、心理学者カール・グスタフ・ユングは、パーソナリティのうち外界と接触している部分をペルソナという概念で説明しました。

ユングは「ペルソナとは、一人の人間がどのような姿を外に向かって示すかということに関する、個人と社会的集合体との間の一種の妥協である」と説明しています。

つまり、実際の自分のあり様を保護するために外向きに形成された「仮面」ということですが、実際の範囲はそれほど明確に意識されているわけではないものの、「私たちは妥協しながら生きている」という点においては、異論は少ないと思います。

皆が大好き、労働生産性

ここで少し横道に逸れます。私が本記事を書いている2024年の初頭、「株価が30年ぶりに最高値水準、イェイ!」という声が喧しく騒がれるようになっています。が、それが日米の金利差に起因するもの、輸出企業が儲けているだけであることなどを考える人は少ない。あるいは、コストプッシュを理由にした価格転嫁による儲けがウッハウハ状態に見えるだけで、決してディマンドプルの状態ではない、ということなどは考えない。にもかかわらず「好景気来るんじゃない?イェイ!」という人が多すぎる・・・とうことで以下のデータをご覧になり、是非ともドン引きをしてみてください。ええ、喧しすぎるので水を差します。

これは、かつて経済産業省の所管であった日本のシンクタンク、日本生産性本部がまとめた最新(2023年12月22日付)の「労働生産性の国際比較2023」です。単位時間当たりの労働生産性がドル換算でまとめられていますが、左のOECD比ではトップのアイルランドの三分の一にも満たない、右上の先進七ヵ国別に至っては・・・目を疑いたくなるものです。

ふう・・・。瞑想し、落ち着きます。

脱ぎたいペルソナ、被りたいペルソナ

それでは話を元に戻して、なぜ、このような惨憺たる結果となっているのか?あくまでも拙く脆弱極まりない一つの可能性として、私は以下に挙げる三つのペルソナが悪影響をもたらしているのではないかと考えています。

一つ目は「プロフェッショナルなフリをするペルソナ」です。このペルソナは、実際の生産性や効率よりも、外見上のプロフェッショナリズムや忠誠心を強調します。例えば、長時間労働や無駄な会議が「献身的」と見なされる文化では、実際の効率よりも労働時間の長さが重視されています。多くの日本企業はまさに、ですよね。

二つ目に「上司や権力者に媚びるペルソナ」を挙げたいと思います。このタイプのペルソナは、組織内の権力構造に適応するために、上司や上長への追従行動を示します。労働環境において、権力者に好意を示すことでキャリアアップや評価を得ることを目指す行動パターンです。非常に多いです。

そして三つめが「部下に対する横柄なペルソナ」です。一部のビジネスパーソンは、部下や下位の立場の人々に対して威圧的または横柄な態度を取ることがあります。このような態度は、自己の地位や権力を示すため、または自己の不安や無力感を補うためにとられます。

このようなペルソナを被っているという方は、是非とも今すぐにその場で叩き割っていただきたいと思います。このようなくだらない三つのペルソナを被るくらいなら、これらに対を為すようなペルソナを選んではいかがでしょうか?

そんなものより、実力と能力に基づいた自信を持ち、成果と効率に重点を置く。公平性、誠実さ、専門性を重視し、仕事においては実際のスキルと成果で自己を証明する「真のプロフェッショナリズムを体現するペルソナ」を被れば良いじゃないですか。

上司や権力者に対しても独立性を保ち、公平で誠実な態度を取る。決断や意見表明は、正義と倫理に基づいて行う「公平性と誠実さを重んじるペルソナ」を被った」っていい。

部下や同僚に対してサポートと尊重の精神を持ち、彼らの成長と発展を促進する。共感的であり、建設的なフィードバックを提供する「サポーティブで包容力のあるペルソナ」を被れれば、あなたは間違いなく光り輝くビジネスパーソンとなるでしょう。

これは、皆さんの「マインド」次第で今すぐに被り直すことができます。

世界劇場における役割認識と脚本の書き換え

ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは「世界劇場」という概念を通じて、私たちの本質と、私たちが実際に社会で果たしている役柄は異なっていると考えました。

すべての人は、この世界劇場という劇において役割を演ずるために、世界という舞台に放り出されています。これをハイデガーは「企投」と呼びました。そして、この企投によって私たちが世界劇場での役柄に没頭し埋没していくことを「耽落」と名づけました。

多くの人は「本来の本質的な自分」と「与えられた役に耽落している自分」この二つを区別できず、自分が演じる役柄に自己を重ね合わせてしまいます。カッコいい役を演じる人は自己をカッコいいと思い込み、地味な役を演じる人は自己を低く見積もります。

しかし、世界劇場で主役級の役を演じる人はわずかです。多くは地味な役を演じ、その役柄に苦悩します。地味役の彼らは主役級の人々を羨望と嫉妬の複雑な感情で見つめたり、ときには逆に「ああはなりたくない」という態度を取ります。結局、与えられた役に耽落していることで、正常な思考ができなくなっています。

では、主役級の役割を与えられた人たち、そのようなペルソナを被る人たちは、この世界は公平で理想的な状態にあると思っているでしょうか?おそらく答えは「否」でしょう。きっと、この世界がそのような状態にあると思っている人は一人としていません。つまり、この世界劇場という劇の脚本が全然ダメということなのです。

ということは、この脚本は書き換えられる必要があるということになるのですが、では、このダメな脚本はどう変えればいいのでしょうか?例えばテレビドラマで脚本の修正に口出しできるのは、一握りの大物脚本家や監督、大物俳優だけであるというように、脚本を変更できるのは限られた人々だけです。

しかし、社会で活躍する人々、すなわち花形役者には脚本を変更する動機がありません。彼らは既存の「脚本の歪み」によって利益を得ているためです。監督や脚本家も同様に、脚本を変更するインセンティブがありません。

一方で、世界劇場に適応できていない人々、つまり地味な役を押し付けられた大根役者には変更する動機があります。が、彼らは自分も花形役者になる方法に気を取られ、結果として脚本の歪み化に加担してしまいます。

この劇の脚本を変えるためには、舞台上で適切に振る舞いながらも発言力を高め、批判的な眼差しを失わない人々、そのようなペルソナを被る人が必要なのです。

このペルソナの名を、「資本主義のハッカー」と呼びます。



僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ1.現状認識:この世界を「なにかおかしい」「なにか理不尽だ」と感じ、それを変えたいと思っている人へ

キーコンセプト⑥「ペルソナ」

もしよろしければ、サポートをお願いいたします^^いただいたサポートは作家の活動費にさせていただき、よりいっそう皆さんが「なりたい自分を見つける」「なりたい自分になる」お手伝いをさせせていただきます♡