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こもれびより ~commoré-biyori~ vol.7「『国語』は何語?」(2019/6/22) レポート

" I study English. "

今回講師を務めた根本氏がまずホワイトボードに書いたのは、こんな一文でした。
その場にいた中学生の塾生に尋ねます。どんな意味?

「わたしは英語を勉強しています」— そうだね。

じゃ、「国語を勉強しています」と言うときはどうだろう…?

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去る6月22日、こもれびより Vol.7〝「国語」は何語?〟が開催されました。

前回のこもれびより〝日本人と英語〟では講義を挟まず参加者同士の話し合いからスタートしましたが、今回は最初の数十分を使って、初登壇となるスタッフの根本氏が短い講義をしてくれました。

さて、「国語を勉強しています」を英語で言うとどうなるんだろう…?

幸か不幸か英語の場合、“言語名” と “科目名” が一致します。« English » を表す「英語」という言葉が、そのまま科目名にもなっているのですね。けれど「国語」の場合、これは科目名であっても言語名ではありません。だからわかりづらくなるのですが、「国語を勉強しています」と言いたければこう言うしかないでしょう。

" I study Japanese. "

« Japanese » はもちろん「日本語」です。だからこれを言うのがもし外国人であればそのまま「日本語を勉強しています」という意味に取られるのでしょうが、僕たち “日本語を母語に持つ日本人” が言えばそれは「国語」ということになってしまうのです。

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講義の最中に紹介された『世界の中の日本語』(朝倉書店) によると、「漢字圏の国々では、よほどの多言語国家でないかぎり、自国語教育を『国語教育』と呼んでいる。韓国、ベトナムがそれであり、国家ではないが、台湾も国語教育である」(p.177) らしく、よってこれは日本に限った問題ではないということがわかります。しかし、“言語” と “国家” は、果たして一直線で結びつけて語ってもいいものなのでしょうか…?

さて、根本氏によって他にもいくつかの書籍が紹介されましたが、なかでも今回のカギを握っていたのが、温又柔(おん ゆうじゅう)さん著『「国語」から旅立って』です。

温さんは台湾人の両親を持ちながら、日本で育ちました。そして彼女にとっては日本語が第一言語、つまり、もっとも上手に扱えて、もっとも安心感を覚える言語が日本語であると語っています。

しかし温さんにとっては中国語もまた、身近な言葉でした。ご両親が台湾人とあって、家では中国語の台湾方言を話していたのです。だから温さんは小さい頃から、日常的に中国語の音にも触れていました。

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では、“台湾の中国語” と “中国の中国語” は同じものでしょうか?

『「国語」から旅立って』からこんなエピソードが紹介されました。

温さんが小学生だったときの話ですが、通っていた学校に中国・北京から訪問団がやってきたというのです。昼食を食べている間、中国語が少しわかる幼き頃の温さんは、訪問団にいた中国人の子に果敢に話しかけます。

「好吃吗(ハオツーマ)?」
※上記は簡体字による表記。台湾で使われる繁体字だと「好吃嗎」になります。

おいしい?と聞いたのですがこれがすぐには伝わらず、少し間を置いて相手から返ってきた言葉は「好吃(ハオチー)」でした。漢字で書いたときの二文字目の発音が違います。

ところで今回のこもれびより、根本氏の直接の友人であるNさんが参加してくださっていたのですが、なんと彼も、両親が中国語母語話者で本人は日本育ちという、温さんによく似たバックグラウンドを持つ方だったのです。

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ここで根本氏がNさんに頼んで、かつての温さんが最初に「おいしい?」と尋ねたときの中国語台湾方言の発音、そして訪問団の子が答えたときの中国語北京方言の発音を実演してもらいました(Nさん自身は北京方言を話すので、台湾方言の発音をするときは及び腰でしたが…)。
そうすると、たしかに明らかに発音が違います。台湾方言の方は前歯の間だけを使ってほそーく息を抜く感じでしたが、北京方言はというと、舌先も一緒に使い歯の裏側で少し息を溜めてジュワっと漏らすような、日本語にはない独特な響きがありました。

ところで中国語の「北京方言」とは何かというと、中国語でいう「普通話」、いわゆる “標準語” を指します。日本とは比べ物にならないくらい広い国土を持ち、当然のことながら、遠く離れた地域同士では方言差のせいで言葉が通じないこともあります。そこで、国家レベルで“普(あまね)く通じる” 言葉として、北京方言を代表させているのですね。

ちなみに根本氏、かつて通っていた中高一貫校では “卒論” が課されたらしいのですが、そこで「標準語の成立」について調べたとのことで、当時から言葉への並々ならぬ関心があったことを窺わせました。

中国語の「普通話」に相当するものを日本語では「標準語」と言いますが、これもやはり、首都である東京の方言が元になったといいます。どの国でも言語と政治は深く結びつき、その時々の政権の中心地にある言葉が、広い地域で使われる “標準語” として採択されるのですね。

そして最後に、中国語の「漢詩」へと話は向かいます。根本氏自身、「漢詩」の美しさに惹かれて中国語の勉強を始めたと言っていましたが、温さんの著書の中でも、中国語と漢詩は切り離しては考えられないものになっています。
ホワイトボードには「春眠不覺曉…」と『春曉』の一節が書かれ、再びNさんが読み上げてくれました。普段あまり聴く機会のない、漢詩の朗読。ゆっくりと読み上げられる中国語の響きには独特な深みがあって、何千年もかけて積み上げてきた言葉の重みがその声に乗っているかのようでした。

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本編が終了し、そのあとは飲み物と軽食を囲みながら、参加者のみなさんで談笑。
イベント参加は何度目か、という方も、はじめましての方も、みなさん話が弾みました。

見事な中国語発音を披露してくれたNさんも、はじめましての方の内のお一人でした。
とても個人的なことを聞いていいものなのか戸惑いましたが、「なんでも聞いて」とおっしゃるので、気になる気持ちを抑えきれずに色々と質問するのを許していただきました。

聞いてみるとNさんは、お父様が台北出身の台湾人、お母様が北京出身の中国人、そして本人は日本育ちだそうです。ただ、家庭内では中国語(北京方言)を話し、頻繁に中国、台湾との行き来もあったようで、日本語だけでなく中国語も堪能とのこと。

ひとつ印象的なエピソードを話してくださいました。
“国籍” の話になったときに、自分の国籍は「母が見るのと父が見るので変わってしまう」とNさんは言うのです。日本国籍は持っておらず、父親と同じく台湾(=中華民国)国籍なのですが、父から見ればNさんは台湾人だし、母から見れば、台湾は中国の “一部” なので中国人、ということになってしまうのです。

中国語の「普通話」と「台湾方言」の違いについても伺ってみると、台北にある父親の実家に行ったとき、そこで話されていた中国語がまるでわからなかった、と言います。家では中国語を話していたNさんですが、それはやはり普通話≒北京方言寄りの中国語だったので、台湾方言の発音には耳馴染みがなかったそうです。

そんなNさん曰く、「母語は中国語」とのこと。僕とほとんど歳も変わらず、日本で人生の大部分を過ごし、僕とのやりとりもすべて日本語を通して行っていたNさんが、それでも日本語ではなく中国語が母語と言うのは、どういう感覚なんだろう。僕には想像も及ばないような言葉の地平線が、蜃気楼越しに見えた気がしました。

ここで参加者のお一人から、Nさんに向け質問がありました。
「日本語を話しているときと中国語を話しているときとでは、やっぱり人格は変わりますか?」
これに即答で「はい」と答えるNさん。
曰く、日本語より中国語を話しているときの方が「オラつく」のだそうです。これは例えば“中国語には敬語が存在しない” というような言語ベースの違いでもあるし、同時に、話し相手による違いでもあります。その言葉を使って話しかけてくる人が “オラついて” 来るのであれば、同じくらいこちらもオラつかなければ対等なコミュニケーションができない、ということなのでしょう。

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今回のこもれびよりを振り返り、個人的に印象深かったのは講義の途中、根本氏の口から出た「言語の間で揺れ動く」、それから「ことばを超え出る」という表現です。
“ことば” はそれを話す人のアイデンティティと切っても切り離せません。それを “超え出る” とはつまり、アイデンティティを抜け出して、その間を “揺れ動く” ことに他ならないのです。

僕自身、数年前からフランス語とのバイリンガルなので、ことばに関するアイデンティティが二つあると言えるかもしれません。でも、それは温さんやNさんとは少し違います。なぜなら僕の場合、二つ目のアイデンティティを自分で選んでいるからです。それはまず一本の太い幹があり、そこから枝を伸ばしていくような感覚でした。けれど彼らは置かれた環境の性質上、自分が育っていく過程のどこにいても既に二本の幹があり、その間で揺れ動いていたのです。一方の幹に寄りかかっている間は、もう一方が倒れないようにしないといけません。ことばにまつわるアイデンティティの “苦悩” と言ってしまえばあまりに単純ですが、“選んで” バイリンガルになった人と、“選ばずして” そうなった人ではそれは同じとは言えないでしょう。この「バイリンガル」という言葉についても、またいつか改めて掘り下げられればと思っています。

ちなみにフランスでは、いわゆる「国語」の授業は « Français »、つまり「フランス語」という名前で呼ばれます。母語話者が学校で習う「国語」と、僕たちのような外国人が勉強する「フランス語」が同じ « Français » という名称を持つのです。こういう状況であれば、ネイティブであろうと外国人であろうと “同じ言葉を話している” という感覚を持ちやすいのかもしれません。
一方、日本ではいまだに「外国人が日本語を話すこと」について不慣れであるように思います。日本語は日本人のためのもの、という認識が拭いきれていないのでしょう。“わたしたち” が喋っているのは「国語」としての日本語であり “あなたたち” が喋っているのは「ニホンゴ」であるというように、“国語” という呼び方が原因で線引きが生まれてしまっているのだとしたら、やはり「国語は何語か」について、よくよく考えてみるべきなのでしょう。

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ところで今回登壇してもらったこもれびスタッフの根本氏。実は第一回の「こもれびより」のときはお客さんとして参加してくれていて、それが初対面でした (写真は2018年6月、左に座っているのが根本氏)。それからよくこもれびに足を運んでくださるようになり、入塾し生徒さんとしてフランス語を学ぶ傍ら、今やこもれびにとってかけがえのないスタッフとしても支えてくれています。まさか最初の出会いから一年後、同じイベントで登壇者の役回りになっていようとは、僕たちも本人も想像つかなかったでしょう。一緒に「こもれび」を作っていけることが嬉しいです。この場を借りてお礼を言いたいと思います。

そしてイベントに足を運んでくださったみなさん、貴重なお話を聞かせてくださったNさん、いつも美味しい手作りお菓子を持ってきてくれる生徒さんにも感謝したいです。ありがとうございました。


文責:志村

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