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「若い女性だから」と評価されることへの違和感

28歳で、全国紙記者を辞めた。

新卒で入社してから6年で、「フリーになる」という決断をした。

周囲からは励ましのことばをもらう一方で、「早すぎる」「もう少し新聞社で頑張ってほしかった」と言われることも多かった。でも、メディア環境がめまぐるしく変わるこの時代に、若い時にこそ新聞社の外で挑戦がしたかった。

今ある気力・体力・知力を、本当に取り組みたい取材のために注ぎたいと思ったのだ。

もちろん不安だ。怖い。

「まあでも、ダメだったら再就職すればいいか」と吹っ切った。

「若さ」は、決断する上でも大切な要素の一つだった。

「若い女性」への需要


フリーになって9カ月。「食っていけない」という心配は、今のところ杞憂に終わっている。

退職前から講演や執筆の依頼をいただき、選挙に出ないかという打診もあった。出馬は丁重にお断りしたものの、仕事をいただけることが嬉しくて、ほとんど全てお受けしてきた。

だけど、さまざまなお声がけをいただく中で、小さな違和感を抱くようになった。

「若い女性だからお願いしたかったんだよね」

「20代の女性っていうのが良いよね」

「今の時代ジェンダーも大事だからさ。若い女性が必要だって話になって、依頼したんだけど」

「若い女性だから」という理由で依頼されるたび、私個人の力量や積み上げてきた仕事は評価されていない、と感じてきた。単に、「若い女性」との属性に当てはまる人が求められているだけでは、というのが違和感の正体だった。

広島を拠点とする私がメインに扱うテーマは、原爆だ。

被爆者を中心に発展してきた核兵器廃絶・平和運動は高齢化している。10代を含めた若者も活躍しているもののまだまだマイノリティであることは事実で、需要があるのも理解できた。

私も、ある面では「若さ」の重要性も感じている。特に原爆を考える上では1994年生まれの元記者が、被爆者の記憶をどう受け取り、未来につなげていくかを発信することは大切だ。現在に通じる問題だと考えるからこそ、年齢や生まれ年を公開した上で発言することに意味があるとも思っている。

だけど……

仕事を依頼する側(多くは中高年の男性)から敬語さえ使わずに「若い女性だから」と繰り返されるたび、おなかの底がぐずぐずと痛むのを感じた。

「若い女性」枠、という埋めなければならない箱があって、そこへ投げ入れられるような感覚だった。見せかけの「ジェンダーバランス」のために、利用されているのではないかと思わざるを得なかった。「若さ」が強調されることで、「未熟だ」と言われているような気持ちにもなった。

何よりプロとして「軽んじられている」と感じることがつらかった。

どんな理由であれ、仕事をいただけるだけで喜ぶべきなのかも知れない。

ぜいたくな悩みだと言う人もいると思う。

だけど私は、自分の名前で書き、喋ることで生計を立てている以上、その中身で勝負したいと思っているのだ。

「レッテル抜きに評価してほしい」


頭を抱えてしまうのは、たしかに女性の社会進出は進んでいないという事実だ。

世界経済フォーラムが今年6月に発表した「ジェンダーギャップ指数」で、日本は146カ国中125位だった。政治面、経済面を中心に男女格差が残っている。

「若い女性だから」という理由で仕事を依頼してくれた人たちも、こうした現状を憂いてのことだったのかも知れない。

だけど、本当に女性が活躍する社会では、「女性だから」という理由だけでは評価されないはずだ。

頭数をそろえればいい、という話でもない。

重度の身体障害者で、デザイナーやライターとして活躍する友人がいる。

彼はよく、「『障害者』というレッテル抜きに評価してほしい」と話していた。

《女性なのに、障害者なのに、頑張っていてすごいね。えらいね》

よく聞くことばだが、侮辱的だ。

裏側に隠された意味を推し量りながら、「もともと頑張ることが期待されていない」と感じてきた。

私たちが持つ価値や力を信じてもらえないし、

スタートラインのやや後方から走らされている。

――だから私たちは、歯を食いしばって頑張っているのだ。

メリットもデメリットもいらない


そもそも、「若い女性」であることがずっと嫌だった。

警察取材を担当していた頃、記事を出せば「女はいいよな、楽にネタが取れて」と他社の男性記者になじられた。

飲み会で「女性がお酌をした方が喜ばれるから」と、何度「お偉いさん」の隣に座らされたかわからない。

そんなつもりはないのに言い寄られて、無遠慮に触れてくる手を振り切れなかったこともある。

「お前が女を使ってるのが悪いんだろ」と感情をぶつけられた時のことは、思い出すだけで悔しい。涙がにじんでくる。

ただ、私はフェアに見てもらいたいのだ。

「若い女性」という理由で制限され、評価を貶められることに強く抵抗する。

でもそれ以上に、「若い女性」だからという理由で評価、優遇されることを望まない。

そんな対応こそ、女性への差別を拡大させると思うからだ。

女性ゆえのメリットもデメリットもいらない。

「若い女性」という色眼鏡を通さず、正当に評価し、批判してもらいたい。

これこそが、本当の意味での「女性の社会進出」だとも思う。

だから私は今日も書く。小さな違和感をことばにすることで、きっと社会は変わっていく。
                 (小山美砂)


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