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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #17】 ジェリード・イールとミート・パイ(3/4)

イースト・エンド名物?

それはともかく、こういうものを食べさせる店が多いロンドンのイースト・エンド。そもそもイースト・エンドとはどこからどこまでのことだろうか。地理的方角は確かにロンドン市街地の東側だが、むしろもっと心象地理に近いのが実情ではないだろうか。下町、労働者階級の街、かつて荒れていたが近年ジェントリフィケーション(街並みの中産階級化)の進むところ。デイヴィッド・リンチの『エレファント・マン』の舞台であり、かのジャック・ザ・リッパーが女性たちをズッタズタに切り裂いた街。

ロンドン下町のアクセントを身につけた人たちはコックニーと呼ばれるが、そう呼ばれるためにはセント・メアリー・ル・ボウ教会の鐘の音が聞こえる範囲で生を受けなければならないという。ところが実際この教会に行ってみると、意外にもロンドン中心部に近く、かのセント・ポール大聖堂や金融街シティーの間近であることがわかる。

イギリスの公共放送局BBCのアーカイヴにある「イギリスの味、人々の声(Taste of Britain, Voice of the People)」という番組(1975年放送)が、Youtubeで視聴できる。その中でウナギのゼリー寄せを売っている男たちがインタヴューを受けているのだが、その場所は明らかに、多くの観光客が訪れるロンドン塔の敷地のなかなのだ。その向こうに見えるタワー・ブリッジよりも西側であり、現代の感覚でイースト・エンドとして想像される範囲よりもはるかにロンドン中心部に近いところである。

現在リヴァプール・ストリート駅があるあたりから東はホワイトチャペルあたりまで。南は当然テムズ河畔まで。北はオールド・ストリートの大きなラウンドアバウト周辺まで。2キロ四方程度の範囲に、かつてはテネメントと呼ばれるレンガ造りの安普請の住宅が並び、貧困と犯罪の巣窟として社会改良政策の標的となった。いわゆるスラムだ。イギリス社会学の祖とされるチャールズ・ブースが1880年代に行ったいわゆる「貧困調査」はこのエリアの世帯の家族形態や生活実態を虱潰しに調べたものだった。

もう一つYoutube映像がある。「グランド・グルメ ヨーロッパ食材紀行」という、NHKのBSで2000年6月に放映され、以降も再三再放送されている番組の、ロンドンのうなぎを扱った回だ。そこに登場するウナギを愛する元港湾労働者のジム・スミスさんが息子や孫たちと通うパイの店は、1927年にペッカムに開かれた。そう、この連載の第6回「ベイクド・ビーンズ」その3でも触れた、南ロンドンの街だ。そこから少し引用しよう。

20世紀初頭のペッカムは、テムズ南岸の倉庫街や船舶関係で働く労働者の家族が多く住み、そのため社会改良主義者による実験的な住宅システムが導入されたりした、ロンドン郊外の一地域にすぎなかった。それが戦後の労働力不足を補う移民推進政策によってやってきたカリブ系の人々が集住するようになり、今では居住者の半分以上をカリブ系やアフリカ系住民が占めるようになっている。そんな現在のロンドンの地理的・地政学的感覚をもってすると、混乱する人もいるかもしれない。いつのまにか安い食べ物の代名詞となったベイクド・ビーンズが当初ピカデリーのあのきらびやかな店舗で売られていただけではなく、その生産拠点が現在カリブ系やアフリカ系の人々が多く住むあのペッカムにあったのだから。

Bale-up Britain第6回「ベイクドビーンズ」3/3

廉価な食品の代表格であるベイクド・ビーンズが、かつては高級食材店フォートナム&メイスンの看板商品で、その工場がペッカムに作られたというくだりだ。厳密には「イースト」ではないペッカム。当然セント・メアリー・ル・ボウ教会の鐘の音はそこまで聞こえない。

何が言いたいかというと、別に通天閣が見えなくても「じゃりン子チエ」に出てくるようなホルモンを食べていたのだし食べてもいいのだし、下町のソウル・フードは地理に限定されないということなのだ。特定の食べ物が特定の地域に密接に結び付けられるのは、むしろ後付けなのではないだろうか。その地域の歴史やイメージに合うように食べ物の起原自体が言わば「捏造」される。そう、『創られた伝統』というやつだ。

エリック・ホブズボウム、テレンス・レンジャー編『創られた伝統』前川啓治・梶原景昭ほか訳、紀伊國屋書店、1992年

ウナギが食された痕跡はポンペイの古代ローマ遺跡からも発見されているし、サルディーニャ島の街カリアリの名物料理のひとつにウナギのパイもある。もちろん時代が変われば、ウナギ自体の価値も大きく変わってくるのだけれど、どこかの街の名物料理というものは意外と歴史も浅く、別段その街だけで食べられているというわけではないのではないか。むしろ、どのようにウナギのゼリー寄せがロンドン・イースト・エンドの名物として語られるようになり、みんながそれを疑わないようになったのか。そこを知るほうがおもしろいのではないか。

もちろん名物料理があってもいいのだけれど、それをどこか特定の街の特定の地域に専有させて、そこの私有物や財産であるかのように語り続けてしまうのが、なんとなく気持ちが悪い。我々は「コモナー」なので、私有よりも共有を、財産化よりも再分配を求めてしまうのだ。そもそもウナギはオランダから来ているのだし、イギリスの内部で完結する話でもなかろうと。イギリスのEU離脱でウナギにかかる関税は大幅に引き上げられるだろう。輸入量の減少が見込まれる中で、イースト・エンドのソウル・フードはどうなってしまうのだろうか。

次回配信は4月28日の予定です。

The Commoner's Kitchen(コモナーズ・キッチン)


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