【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #10】フィッシュ&チップス(4/4)
「持つ者」と「持たざる者」
フィッシュ&チップスが階級の溝や壁を埋めたり消したりすることはないのだとしても、実は溝や壁があり、その溝や壁のせいでお互いを知らないで済ますことができていたり、本当はお互いを知ろうという気持ちがあるのにそれを無理やり抑えながら、知らなくてもいいんだと世界を閉じてしまっていたりするんだ、という気づきをもたらしてくれることはある。
浦沢直樹の『Master キートン』 に「靴とバイオリン」という話がある。ロンドンの路上でバイオリンを弾くレイモンドと、持ち前の俊足を活かして「スリ」で生計を立てるビッキーとの交流の物語である。レイモンドは実はシューズメーカーの社長なのだが、「いつか街角でバイオリンを弾いてみたかった」という夢を叶えようと、会社をほっぽり出して路上ミュージシャンをしている。ストリートでの商売の仕方もそこでシノギを削る者たちの抜け目なさも知らない彼は、ちょっと気を抜いたすきに、商売道具のバイオリンを盗まれそうになるが、そこに居合わさせたビッキーがそれを取り戻してやり、レイモンドはそのお礼にとビッキーを食事に誘う。ビッキーが選んだのはキッチンカーのフィッシュ&チップスだった。
フィッシュ&チップスを手に持ったまま、口をつけるのを尻込みするレイモンド。おそらく食べたことがなかったのだろう。しかし「コロモさっくり、中身はぜんぜん臭みがない」というビッキーのすすめでひとくち食べてみると…。
食後、「なぜスリなんてしてるのか」と聞かれたビッキーは、「十分お金があるのにまだ儲けることを考えてる」金持ちへの嫌悪を語り、「なのに貧しい人はいくら働いても貧しいまま」とイギリスの階級社会の不公平と、レイモンドがどっぷり浸かってきた資本主義の根源的な悪循環を問う。そして自分は「お金持ちしか狙わない」と富の再分配に貢献するスリという「稼業」への矜持を誇り、信じられるのは「相棒」のランニングシューズだけだと語る。
実はその靴はレイモンドの会社の製品で、生産コストに合わず製造中止になったものなのだが、彼は自分の素性をビッキーに明かすことはしない。その後、ギャングの一味にさらわれたビッキーを、レイモンドと彼を会社に連れ戻しに来たキートンが助けに……と物語はアクション展開になっていくのだが、詳しくは作品を読んでもらいたい。
この出会いをきっかけに、社長業に復帰したレイモンドがビッキー愛用のランニングシューズの製造再開を決定するというのが物語のオチだ(利益が上がらなくても製品を愛してくれる人がいる限り作るという、職人気質のマニュファクチュア的なリベラリズム)。そしてレイモンドはキートンを介して、ビッキーにそのモデルの靴をプレゼントする。ビッキーはレイモンドの正体を知らずじまい。おそらく2人が会うことは2度とないだろう。ただ、ランニングシューズだけが2人をつなぐ。しかし、そもそもはフィッシュ&チップスがとりもった御縁である。
フィッシュ&チップスは階級の溝も壁も壊しちゃいないじゃないかという読み方が、当然できる。 しかし利益追求に血眼になり、社会的共通資本の蓄積とその公正な再分配に貢献するという企業の在り方を資本側が修正する、つまり市場が福祉に譲歩する社会民主主義を再評価している、という読み方もできる。
いや、両方お決まりのパターンでしかない。そうではなくこれは、ビッキーが「スリ」という仕事を完璧にこなすために不可欠な、お気に入りのランニングシューズを資本側から盗んだ、という話なのではなかろうか。「金持ちから盗め」(Rob the rich)を実践したという。かつてあった階級闘争のように敵意むき出しで争うのではなく、「持たざる者」が生きるための手段を「持つ者」に自発的にタダで提供させたのだ。フィッシュ&チップスの油が潤滑剤になったわけではなかろうが、油も含めて美味しかったから、そうなったのである。
こんな話はスコーンでは描けはしない。ローストビーフでは成立しない。「十分お金があるのにまだ儲けること考えてる」人々と「いくら働いても貧しいまま」の人々がお互いを知り理解し合うきっかけを作ることは、美味いフィッシュ&チップスにしかできないのである。
(完)
Fish & Tips
フィッシュ&チップスを美味しく作るには、「ポテトの下ごしらえ」と「揚げ油の温度」、魚もジャガイモも両方「揚げたて」を食べられるよう手順を組み立てる、この3点を押さえることが重要です。
シンプルな揚げ物料理だからこそ、調理の手順が大事。
1)まず、ポテトの1度目のフライまでを済ませ、
2)次に、フライドフィッシュの「衣」を用意し、
3)マッシーピーを仕込んだのちに、
4)ポテトの2度目のフライ、
5)続いて、魚の切り身に衣を付けて揚げ、
6)揚げたてのフィッシュとチップスとマッシ―ピーを盛り持った皿と、
7)モルト・ヴィネガーの瓶をテーブルへ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?