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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #25】 バンガーズ&マッシュ(3/4)

毒食わば…

アメリカのTVドラマ『ピンク・パンサー』でクルーゾー警部を演じたピーター・セラーズが、あのソフィア・ローレンとのデュエットで発表した「バンガーズ&マッシュ」(1960年)という曲がある。そのなかで、第2次大戦に従軍しイタリアのナポリで出会った女性と結婚してイギリスに戻った元兵士の男が、「おいら1944年以来まともなもんを食ってねぇ」とぼやく。原文の歌詞では“I 'aven't 'ad a decent meal since Nineteen-Forty-Four!”. コックニーである。妻は、ミネストローネやマカロニやタリアテッレを食べなさいよと言うのだが、この男は妻に向かってこう言い返すのだ。

「母ちゃんが作ってくれたようなバンガーズ&マッシュを出してみやがれ!」 
 “give us a bash at the bangers and mash me muvver used to make!”

Sophia Loren and Peter Sellers, "Bangers and Mash," 1960.
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見事なコックニーである。muvverはmotherのコックニー用法。「おふくろの味」を懐かしむマザコン男のぼやきが、<女=イタリアン=洗練>と<男=コックニー=野卑>の見事なコントラストを際立たせている。しかしこれでは、バンガーズ&マッシュの面目はあまり立たないのが実情だ。きっとこのイタリア人妻はバンガーズ&マッシュを作ってはくれないのだし、よしんば作ってくれたとしてもこのマザコン男は「やっぱ母ちゃんのほうが美味いや」とでも言うのが関の山だろうから。自分じゃ作れもしないのに。

バンガーズ&マッシュという食べ物自体にもっと力があるはずだ。しつこいようだが動物性たんぱく質と脂と炭水化物が渾然一体となって、それも廉価で腹に収まるのだから。レディオヘッドが2007年にリリースしたアルバム「In Ranbows」のボーナス・トラックに「バンガーズ&マッシュ」という曲がある。ここでのバンガーズ&マッシュはその魔術的な力をいかんなく発揮する食べ物として歌われている。

Radio Head, In Rainbows, 2007.

ヴォーカルのトム・ヨークがツイン・ドラムスの一翼を担いながら、「毒を食らうともっと欲しくなる(I got the poison, and I want more)」と歌うその毒の出処が「バンガーズ&マッシュ」なのだ。安く美味しくいつでも食べられるそいつを喜んで食べ続けているうちは、「警視庁長官や財務大臣や貴族や司祭や判事たち」の権力が階級社会のピラミッド構造を固めようとしていることに気づかない。腹を満たされ、でももっと食いたいと思ってしまったら、それは権力の思うつぼ。毒に侵されているんだよ、と。

トム・ヨークの作詞が巧妙なのは、別に彼がヴェジタリアンだからソーセージを毒物扱いしているということではない(と思う)。そうではなく、毒に夢中になっているのは権力に利用される下層階級だけではないと歌っているからだ。バンガーズ&マッシュを食らっているのは、誰かを利用することの快楽に溺れる中毒に陥っている権力者たち自身でもある。「トップに立つことが堕落の始まり(If you are on the top, then it is a long drop)」。結局食べているのはいつもバンガーズ&マッシュじゃないか! 双方が毒を喰らい、双方が己の階級に留まることに躍起になって中毒症状に気づいていない、階級社会の巧妙なメカニズムを描写しているダーク・リアリズム。ノアールなのだ。「暗闇を覗き込むと、今度はその暗闇におまえの魂まで覗き込まれるぞ(If you stare into the dark, the dark will stare you back into your soul)」。

(続く)


オニオングレービーのレシピ

4皿分

材料

玉ねぎ          5個
無塩バター        100g
薄力粉          25g
赤ワイン         200㎖
スープストック      300㎖
マスタードパウダー    適量
黒胡椒          適量
塩            適量

作り方

①フライパンにバターを入れて、そこに玉ねぎを薄くスライスしたものをくわえ弱火できつね色になるまでじっくり炒める。

②そこにふるった薄力粉とマスタードパウダー、胡椒を入れて手早く炒め、さらに赤ワインをそそぎ強火でアルコールを飛ばす。

③スープストックをくわえて弱火で30分ほど煮て、塩を入れて味を調えたら出来上がり。


次回配信は6月30日を予定しています。

The Commoner's Kitchen(コモナーズ・キッチン)


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