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「間」を大事にする理由

今回は私たちがなぜ、「間」を大事にしているか、お話ししようと思います。

我々のなかで、「間」をいうワードが出てきたのは、2020年2月。

まだ、COVID-19は猛威を振るっておらず、マスクなしで外に出ているような時期でした。

群馬のある施設で、当時検討していたビジネスをより具体化するために、土日で合宿をしていました。

▼当時のホワイトボード

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2日目、ビジネスの議論も煮詰まってきた頃、

「コーヒーを飲む場所って、おしゃれな空間が多いよね。人は何を求めているんだろうね?」

そんな些細な疑問をみんなでディスカッションしていた時のことです。

▼ディスカッションの内容

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スターバックスに行く人は、コーヒーにお金を払っているのではない、あの場所にお金を払っているんだ。とよく言われる。


なんであの場所、空間がいいと思うのだろうか?


ノスタルジックな空間がいいのではないか?


ノスタルジックさを人が求めるのはなぜか?


昔のことは美化される。「あの頃に戻りたい」そう思うのではないか?


「あの頃に戻りたい」となぜ思うのか?

現実逃避したいのではないか?

なぜ現実逃避したいのか?

心に余白、空白がなくて、息が詰まっているのが、現代人なのではないか?

心に余白、空白がないのはなぜか?

時間に追われ、情報に埋もれ、都心に至っては狭い空間に押し込められているからではないか?

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「時間」「空間」が今の現代人に足りていない。

そんなことに気がつきました。

そこからさらにディスカッションをしていくと、面白いことに気がつきました。

「時間」「空間」の、どちらにも共通する「間」

「間」という漢字に注目すると、現代人がいかに「間を取ること」が難しくなっているかがわかってきたんです。

「間」という漢字に注目すると、現代人がいかに「間を取ること」が難しくなっているかがわかってきたんです。

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世間:世の中との間。

SNSなど新しいコミュニケーションツールで、世の中との間がうまく取れない人がたくさん増えているのではないか?(知って良い情報もあれば、悪い情報もある。悪い情報に流されるリスクも存在している。)

行間:行間を読む=空気を読む。

物事が進むスピードが速く、オンライン中心にシフトしている現代社会において、行間を読んでいる時間が許されない中、高速で行間を読もうとする結果、疲れてしまうのではないか?

間合い:相手との距離感。

絶妙なバランスを取ることが求められるのに対して、ネット上がゆえに距離感が掴みにくくなっている。(メール、LINEなど、文字にして会話をすることで、解釈違いが発生し、相手を傷つけてしまったりもする。)

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私たちはここから

「間取り迷子が多発している。だから、間をとるための居場所を求めて、広いノスタルジックな空間を求めてスタバに行くのだ!」

と結論付けました。

そこから、

「間取り迷子が幸せになるためにはどうしたら良いのか?」を考えました。

スタバに行っても幸せになるのは一時的。また、この社会に揉まれて疲弊していく・・・

負のループが続くだけではないかと。

その時に気がついたのが、

「間取り迷子は、他人や世間との間の取り方に疲れているが、結局は、自分自身との間がうまく取れていないのが原因」

と言うことでした。

自分でコントロールすることが難しくなっているんですよね・・・

自分自身を知らないから・・・

だからまた疲弊してしまう。

自分自身で自分のことを知る。

良い面も、悪い面も、全部自分だとわかった上で、自分との間をコントロールする。

それが、現代人にとって非常に重要ではないかと。

そこから私たちは、「間」を生み出すことを念頭にし、サービスを検討していきました。


この後COVID-19が広がり、緊急事態宣言などで外出することすらできなくなる日々がやってきました。仕事もプライベートも、オンライン中心の生活にシフトすることで、さらに「間」の取り方が難しくなりました。

だからこそ、我々は「間」を大事にしていこうと思い、

会社名、サービス名にも"MA"を入れています。

(カンマ[']も、一呼吸、間と言う意味を成しています。)

私たちがなぜ、「間」を大切にしているか、少しでもご理解いただけたら嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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