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どんな選択をしても後悔はする

人生は選択の連続な訳であるが、後悔しない方を選ぶというのは私には無理な話でそれがベストな選択であったとしても何を選んだとしても大小はあれどこういう道も、こういう方法もあったかな?と別の可能性が存在してしまう以上、後悔はしてしまう。

なので、後悔はあって当然。
大事なのは選んだ後、どう思えるか、思っていくかという話。

例えば今日もプレイしたスプラトゥーンの中だってそうだ。

スプラトゥーンをしている時にも選択の場面は絶えず訪れる。
状況を判断しては次の行動を瞬時に選択している。

例えばガチアサリでは以下のようなコトを思う人は割と多いのではないだろうか?

■ゴールが開いている状態

  1. 敵を処理してからアサリを入れようとすればよかった。

  2. デス覚悟で1つでも多くアサリを入れたらよかった。

①を思う時は②をやろうとして、1つも入れられなかった時。あるいは敵が1人しか居なくてキルしておけばもっと良い状況が作れた時など。

②を思う時は①をやろうとして1つも入れられなかった時。

これらは1つの後悔である訳だけど、仮に過去に戻れたとして選択を変えたとしても結果は変わらない可能性もある。

①を選択したけどダメだったので過去に戻り②の形でやり直したが結局1つも入れられずデスしてしまうというような結果のコトである。

そうなるともっと根本的な部分から反省しなければいけなくなる訳だが、話が長くなってしまうのでとりあえずこの状況で止めておく。

後悔は負けた試合、特に1カウント差など惜しい形で負けた時などはより強く思う訳だが負け試合だろうと、勝ち試合だろうと関係なく大小はあれど選択が生まれた時点で可能性が残る状態であれば後悔は生まれてしまう。

勝った試合でも、自身の中に明確な選択の場面があったのであれば薄いかもしれないがもっとこう出来たのではないだろうか?と思うことが出来る。

反省を促すための後悔は向上のために必要だが、その試合自体は再現されない。いや偶発的にまったく同じ状況で進む試合は訪れないといった方が適切かもしれないが、今回①で失敗したから次の試合は②で行こうと実行しても必ずしも上手くいくモノでもなく再度同じ後悔が生まれたりするモノだ。

選択肢が生まれた時点で後悔が付きまとうモノであるのなら、後悔のない状態とは選択のない状態といってもよいだろう。

例えばデカアサリを持っていて敵はWIPEOUTでゴール前。
この時にとる行動はデカアサリをゴールに投げるしかない訳だ。
そこでゴールを割って後悔ということは起きないだろう。
外してしまった場合、焦ったという後悔、あそこで入れていればといった後悔などは生まれてしまうが、結果が決まる前の段階での選択肢は1つしかないのでそこでは後悔のしようがない。

「Aの箱には1万円」
「Bの箱には10万円」どちらか好きな方をあげます。

多くの方はBの箱を選ぶだろう。

なぜならBの方が得を出来る、1万円より10万円の方が価値があることを知っているからである。

明らかにどちらを選んだ方がよいかわかる状態であれば、人はそう迷わないモノであるし、もはやこれは選択に見せかけた1択といっていいだろう。

舌切り雀の欲張りなお婆さんだって最初から中身がわかっていれば、大きなつづらは選ばなかったはずだ。

私自身は、AとBのどちらか迷う選択肢があった場合、その選択自体には然程価値はないと思っている。

上記のお金の選択だって、1万円の方に10万円と同等の価値を見出すことが出来れば迷うコトは可能だ。その場合は貨幣としての価値ではなく、欲をかくことは良くないとか概念的というか精神的な形での折り合いになるだろう。

お金の選択だと損得がわかりやすいから選びやすいが、就職でA社にしようかB社にしようか、企業の中で働き続けようか、起業しようか、この人と結婚していいのだろうか?別れようか? 様々な選択が、生きていく中で用意されている訳だが、どの選択を取ろうが迷うレベルであればその選択に価値は然程ない。

繰り返してしまうが、他の可能性が存在してしまう以上後悔が生まれるのはしょうがない。選択したのちにどう思えるか、結局それでよかったと思い込める行動を取っていけるかだ。思い込めるというと響きはあまりよくないが納得、満足、幸せだと思えるということだ。

迷うレベルならその選択自体に価値は然程ないとは言ったが、やはり選択前には迷うし決断に時間がかかるコトもあるだろう。少しでも早く決断出来るように、また選択後にこれでよかったと思えるように、生きる上で1つの指針を持っておくと自信をもって自身の道を歩んでいけると思う。

例えば自身が生きる上で自由を重要視するなら、どの選択が1番自由を感じやすそうか?
かっこよさを1番に求めるならどちらがよりかっこよくいられるか?

実際にそうなれるかは重要ではなく、その選択時の感覚でよい。
迷ったなら最終的な判断は、そういった人生における自分の中の軸、指針みたいなモノで判断するとよいと思っている。

また、選択をして歩みだした瞬間から選択したコトは過去になっていくわけだけど、その選択した過去をよかったと思える人は今も未来も明るいだろうし、失敗したと思う人は今も未来も暗いのだろう。

そう考えると、未来は変えられるなんて言うけど、未来は未来単体では変えられず、変えられるのは実際のところ過去であり、過去を変えられる人だけが、未来を変えて行けるのかもしれない。

そんなコトをアサリを入れようとデスしては思うのだ。

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