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悠久の未完が醸し出すロマン

『この聖堂を完成したいとは思いません。このような作品は長い時代の産物であるべきで、長ければ長いほど良いのです』

アントニオ・ガウディ

東京国立近代美術館で開催中の『ガウディとサグラダ・ファミリア展』を目当てに足を運んだのは、会期終了まで残すところ1週間となった週末。
会期中の金曜日と土曜日は20時まで開館していることもあって、良い機会を得て再訪した。

ちなみに再訪先は『東京国立近代美術館』と言えばそうなのだけど、『ガウディとサグラダ・ファミリア展』にもう一度行ってきた、という意味だ。

同じ企画展に2度行ったのは初めてかもしれない。
たまたま近くに居るというタイミングの良さに加え、名残惜しさもあったのだろう。

スペインへの憧憬

10年ほど前、職場の先輩が相次いでスペインを訪問した。
詳しく聞いたわけではないけれど、「ガウディを見てきた」というような話を聞いた覚えがある。その時は海外旅行を羨ましく思ったのと、観光地としてのスペインにふわっとした興味が湧いた程度だった。

それがいつしか、「今、最も行きたい国」となった。

カミーノ

3年前、2020年のあの頃に世界を混乱に陥れた亡者が登場しなければ、私はそれなりに深い興味をもってスペインの地を踏んでいただろう。それも実にじっくりと時間をかけて。
2か月ほどスペインに滞在してカミーノを歩こうと計画していたのだ。

結局は断念して、しばらくの間放心したけれど、英会話苦手だしなとか、足の皮剥けちゃうんだろうなとか、荷物を切り詰めないととか、アレコレと想いを巡らせた日々が懐かしい。

それはそうと、必ずと言っていいほど『何がキッカケでカミーノを歩こうと思ったのか』と質問される。これは自分でもよく分からずにいて、一度も上手く答えられたことがない。

アートシーン

少し遡ってみれば、20代の終わり頃からか美術館や博物館によく足を運ぶようになった。
もっぱら一人で行ってじっくり鑑賞し、みっちりメモを取る。そうして噛み締めるように様々なジャンルの展示に触れ、視野がどこまでも拡大していくような充足感を得る。

ピカソやダリ、ベラスケスといったスペインの巨匠たちに辿り着くのに、そう時間はかからなかった。スペインはどこかヨーロッパの中でも良い意味で異質であるように感じ、ピレネーの南側で生まれるものに憧れのようなものを抱くようになったのは間違いない。

サルバドール・ダリの作品を中心としたコレクションを誇る諸橋近代美術館(福島県・猪苗代)

サグラダ・ファミリア

記憶を呼び覚ませば、『サグラダ・ファミリア』という言葉に人生で初めに触れたのは、まだティーンエイジャーだった頃。
『赤ちゃんと僕』(羅川真里茂 著 / 白泉社)という漫画の中でのことだった。シリアスなシーンではなく、ギャグ的というか、父・榎木春美の会社の部下がおふざけ的な展開を魅せているシーンだった(かな?)

その時はまだ、知る由もなかった。『サグラダ・ファミリア』とは何なのか。誰かに聞いたり調べたりすることもなかった。こじつけの様でいて、きっと真実だと信じたいのだけど、『未知というロマン』にしておきたかったのだと思う。

「聞くのは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
小学校の担任の先生の言葉がぎるも聴き流して、『サグラダ・ファミリア』を謎めいた言葉として残しておいたのだ。知らないからこそ興味が湧くしロマンを感じるものだ。

答えはたぶん、地平の向こう側に存在する。
けれど急ぐ必要はない。そして必ずしも、到達する必要もない。

オリジン

スペインと言えば、大航海時代のマゼラン御一行とか、無敵艦隊とか、アメリカ大陸の植民地化とか、ナポレオンとか、幾度となく年表に刻まれる国だ。けれどトピックの表層の薄皮一枚分くらいしか……つまり、ほとんど何も知らないでいた。

その状況が一転したのは、『オリジン』(ダン・ブラウン 著、越前敏弥 訳 / 角川文庫)に触れたからだと思う。

少なくとも私には、スペインの歴史や地理、新旧入り混じる現代スペイン、アート、AIと人間、科学と宗教の関係など、あらゆる情報が臨場感を持って流れ込んできた。当然のようにサグラダ・ファミリアだって登場する。

確かこの時、「スペインへ行ったら、ガウディを見なければ」という気持ちが生まれたような体感的記憶がある。この読書体験が私にとってのスペインへの興味の原点オリジンとなったに違いない。

加速する世界

様々な技術の発展により随分と情報を得やすく、そして学びやすくなった。
特にこの10年ほど、そしてコロナ以後は尚更。

けれど変わらないものもあるはずだ。
ずうっと長い時をかけて成し遂げられる、その日が遥か地平の向こうにあるものが。
無意識にそう考える対象に、サグラダ・ファミリアも入っていたらしい。

それなのに、その営みの終焉が予言されるようになった。
2026年、サグラダ・ファミリアは完成する』と。

ショックだった。

ゆっくり急げ

『フェスティナ・レンテ(ゆっくり急げ)』

ラテン語の標語

物凄くゆっくりだが着実に進行する。それが『緻密』な造形を生み出すのだと思っていた。
けれどコンピュータグラフィック技術の進歩により、誰もが夢見た聖堂のあるべき設計が解析され、シミュレーションによってその確実さの検証が加速した。

建設が始まり、既に100年以上が経っている。
完成までは推定300年。資金難を乗り越え、既設部分の修復を交えながら、失われた設計図を検証しながら進める必要があった。だからその半分ほどの工期で完成しようとしているなんて驚異的だ。

けれど、どこか寂しくもある。

もちろん、完成は望まれることだ。
だからこそ建設途中の姿を観に訪れる人が増えて資金が集まり、その想いが具現化しようとしている。

それなのに底知れない切なさを感じるのは何故だろう。
まだ一度も実物を目にしたことがないのに。
その途方のなさと「創り続ける」という営みそのものに、生命の永遠性を感じていたのかもしれない。

泡沫の夢

完成してしまえば『未完のサグラダ・ファミリア』は失われてしまう。
その頂が天に届いた時、一心に創り続け、世代を超えて繋いできた生命の営みはどうなってしまうのだ。

聖堂を完成させるという壮大な夢
完成した聖堂が聳え立つ現実
繋がっているはずなのにパラレルワールドの光景のように思えるのは、2つの事象を心象が分かつからだろうか。

長い間ずっと創り続けている、今もなお。
そのことにロマンを感じてしまうのは私だけだろうか。

今は焦燥感を感じずにはいられない。
完成してしまう前に会いに行かねば、と。

『ガウディとサグラダ・ファミリア展』巡回情報

  • 東京:2023年6月13日〜9月10日 @東京国立近代美術館

  • 滋賀:2023年9月30日〜12月3日 @佐川美術館

  • 愛知:2023年12月19日〜2024年3月10日 @名古屋市美術館

会場入り口のパネル

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