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空飛ぶ魚

プリズムによって分けられた光は、異なる色合いを示す。『万有引力』と言えばニュートン。その彼が示した色は、様々な角度から眺めた光の姿だ。
一概に光と言っても、様々な側面を帯びている。

ここに一枚の絵がある。
どんな色を乗せようと自由だし、一色で塗りつぶしたっていい。あるいは塗らなくてもいい。塗らないという選択をした完成品であってもいいのだ。

重ねた色も重なり合った色も、どれもそいつの一側面。

ただ、可能な限り様々な側面を見たいというささやかな欲望によって、色を浴びせられた鳥は様々な角度を負わされる。
ぎらぎらしてしまうのだ。

こんな複雑な色合いの鳥も、やっぱりどこかにいるかも知れない。

思い思いに色を重ねたら、最後に明るめの色で、スパッタリング。
色を散りばめて華やかさを。
ああ! わざわざ汚すようなことをするなんて! 
そう思う人もいるだろうか。
であれば一方で、偶然の仕上がりに歓喜する人もいるだろう。

それが面白い。どうあるべきか、どちらの方が優れているかではなくて、そこに在る一枚の絵を見た時に、違った見方、違った感情、色んな思いが生まれること自体が面白い。

絵は主ではなく、単なる種なのだ。感情を振り分け、見るものによって違っった芽を魅せる。自分と違った色を見る人が居る。そのことで世界の広さを感じるし、新たな物事の見方を手に入れることができる。

だからこそ、新たな角度を見つけたら、その方角に鳥を放つ。自分以外が何を感じ、何を思い、そこに何を見出すのかを視てみたい。

翌朝目覚めてからこの絵を眺めると、不思議なことに魚に視えて仕方なかった。
どちらも空気や水の抵抗に逆らって飛んだり跳ねたりするわけだし。
まあ、鳥は魚を食べるけれど、鳥を食べる魚はいないけれど。少なくとも私は知らない。空翔ぶ魚がいれば泳ぐ鳥もいるし、唯一の答えなんて、そもそも存在しないのだろう。

自分に無い視点で、物事を捉えてくれる人は貴重な存在だから、そういう人と手を組めたら、おおよそのことは許容できそうじゃないですか。



*塗り絵:ミリー・マロッタ『動物たちの塗り絵ブック』より
*水彩色鉛筆、水筆

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