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自己実現は「他者との差異」という形で規定される

「社会」に関するキーコンセプト
「いま、何が起きているのか」を理解するために

36:差異的消費

ジャン・ボードリヤールは「消費」という言葉を再定義しています。
「消費とは記号の交換」である、というものです。
どのような「記号」なのかというと、「私はあなた達とは違う」という「差異」を表す記号です。

いきなり何の事だか分かりません(^^;;

古典的なマーケティングの枠組みでは、消費の目的は次の三つとされています。
①機能的便益の獲得
②情緒的便益の獲得
③自己実現的便益の獲得
マーケティング理論では、市場は黎明期から成熟していくに従って、あるいはその市場の経済的なステータスが進展するに従って、消費の目的は①から順に③へと移っていくことになります。

PCや携帯電話を考えれば分かりやすいそうです。
僕はApple信者なので、iPhoneしか使いませんし、PCはMacintoshです。性能で考えれば、もっと凄いものが世の中にはありますが僕は使いません。Appleのもつストーリーに魅了されているからです。

ボードリヤールは、私たちの持つ「欲求」は、個人的・内発的なものとしては説明できない、むしろ他者との関係性、つまり「社会的」なものだと言っています。

欲求が社会的なものなのだとすれば、マーケティングにおける市場創造・市場拡大において最も重要なのは「差異の総計の最大化」ということになります。これは当然のことながら、非常に大きなルサンチマンを社会に生み出すことになります。

ルサンチマン・・・ニーチェのキリスト教批判における中心概念で、「恨み」や「妬み」を意味する。

ボードリヤールは次のように指摘します。
「消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするがこの行動が差異化や強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない。他人との違いを強調することは、同時に差異の全秩序を打ち立てることになるが、この秩序こそはそもそものはじめから社会全体のなせるわざであって、否応なく個人を越えてしまうのである。」

駄目だ。分からん。。

お金持ちが、自分たちはお金持ちであることを分かりやすく他者に伝える為にフェラーリに乗る、高級住宅街に住む、これらも差異的消費ではありますがそれが全てではない。プリウスに乗るとか、無印良品を愛用するとか、郊外の田舎に暮らすというのもまた、それを選択した主体が、そのような選択をしなかった他者と自分は異なるのだということを示すための差異的消費だということです。

これはつまり、私たちがどのような選択を、どれだけ無意識的に、無目的に行ったとしても、そこには自ずと「それを選んだ」ということと「他を選ばなかった」ということで、記号が生まれてしまう、ということです。
この窮屈さから逃れられる人はいない。私たちはそのような「記号の地獄」に生きている、というのがボードリヤールの指摘です。


うん。今日も何が何だか分からないよ。
「記号の地獄」って何だよ。。
哲学を学ぶということは、本当に苦しいものですね(^^;;




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