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語りかける瞳


私が小学3年生くらいの時に、両親が離婚した。


理由は金銭的なもの。でも、離婚をしてもママとパパに変わりないと、離婚を告げられて泣きじゃくる私に言ってきかせてくれた。


離婚後は母と暮らしていた。


月に1度くらいの頻度で家にくる父と、
母の雰囲気を見ていて、
夫婦仲にも亀裂が入っていたことは明確だった。


私たち子供はそんな2人を見て、
一緒に暮らしている母の味方につくのも明確だった。





父と会う頻度もだんだんと少なくなり
私たちの誕生日の時か、年度末のあゆみ表のタイミングで会うようになった頃。

私はめでたく、11歳の誕生日を迎えた。



父から、何が欲しい?と聞かれていたので、誕生日プレゼントは当時流行っていたおもちゃをお願いしていた。


本音を言うとあまり父には会いたくないが、
おもちゃを貰えるので少し楽しみにしていた。


会う約束をしていた当日、兄妹3人で父と待ち合わせしてた場所へ向かうと、父がこちらを見て立っていた。


でも父の隣に、帽子を深く被る女の人も立っていた。



あの女の人は誰だろう?


なんて思ったのは0.1秒で、0.2秒後には



あぁ、新しい奥さんか。と悟る。



私たちが父達に近づくと、
「久しぶりやなぁ」と父に声をかけられる。

隣の女性は私たちに軽く会釈をした。


そしてそのまま父が乗ってきた車に乗せられ、ドライブとなった。



助手席に座る女の人の説明は何もされないまま、


元気にしてたか?これ、こむよんが欲しいってゆうてたおもちゃ。はい、どうぞ。ピンク色これしかなかったわ。まぁ、でも可愛いやろ?

という会話が車内で繰り広げられる。




この場の権力は父にあり、父が全ての行動の権利を握っているという力関係が根強くあったので、私たちはただただ空気を読み、父から話しかけられれば返事をして、まだ幼い妹の面倒を見ながら目的地まで耐えた。


目的地は公園だった。

車から降りて自動販売機でジュースを買ってもらう。

そして兄だけが父に連れて行かれて、
離れた場所で何か話をしているようだった。


その間、退屈だった妹が「鉄棒で遊ぶ!」というので私もそれに付き合うと、帽子を深く被る女の人も着いてきた。


内容はあまり覚えていないけど、たわいもない話をした。
保育士を職業としているようで、子守りには自信があるようなことを女の人は言っていた。



しばらくすると兄に呼ばれた。
「次はおまえの番や。」と何やら意味が含まれた言葉を投げかけられる。

妹のことをお願いして父のところへ歩いていくと


「あの女の人は新しい奥さん。仲良くしてやってほしい。」

と告げられた。


まぁ、薄々わかっていたし拒否することはできないので「わかった」と返事をした。


その後、家の近くまで送ってもらって

私の人生で1番最悪な誕生日が終わった。



帰宅して今日の話を母に告げると、
母は怒り狂いながら父へ抗議の電話をかけていた。

母はすでに父が再婚していたことを知っていた。


でも子供達がもっと大人になってから言えばいいと父にストップをかけていたようだった。なのに父は黙っていられなかったみたいで、このタイミングでのカミングアウトとなった。


私はこの出来事をもってして、"家族"や"夫婦"のイメージが全て崩れた。


再構築するには時間がかかった。


それくらいにダメージを負った。


私はなぜか『父に捨てられた』と思った。



父に捨てられた子供という傷ができた。





そんな傷をもったまま成長し、
時を経て、今は娘を持つ母親になった。

父と同じように再婚をするも、離婚をした。

認めたくないけど、父の遺伝子は半分流れている。


私の人生がおかしくなったのは、11歳の最悪な誕生日からなので、父の無神経な行動のせいである。

そう、断言できる。


父が私たち家族を大切にしないで、
また新しい家族を作るからである。


でも、そんな父に文句を言うことはもうできない。


私が妊娠中だった16歳の時、
父と怒鳴り合いの喧嘩をした。

それをきっかけに、絶縁状態にしたからである。


なので、父への文句は全て空間に漂う。


だけど、妊娠していることは最後まで黙っていたので
父は自分に孫がいることは知らない。



ふふふ。

娘の小さな反抗だ。
これだけで勝った気でいる。



だけどそんな無神経な父とのあったかい思い出は、ちゃんと沢山ある。

幼稚園の頃、父と一緒にお風呂に入っていた時、
湯船で父にもたれかかりながら、父の首元に垂れ下がっている、キラキラしたゴールドのチェーンネックレスを小さな指でいじる。

すると父が「こむちゃん、もうすぐ誕生日やけど何がほしい?」と聞いてきた。

私は「遊園地に行きたい!」


父の目を見て言う。


人混みが苦手な父は「遊園地かぁ〜」と苦笑いをしながら「じゃあ、遊園地行こう。」と返事をしてくれた。




私は、その時の父の瞳を覚えている。


父の胸あたりでネックレスをいじる私を

伏目がちに見ていて、

その瞳は、「愛おしい」と語っていた。





父に捨てられた。

でもそれは、

愛されていないとイコールではない。



父は不器用だったが、私は愛されていた。


そして父も、愛されたいただの人間で
1人で生きていけないさみしんぼだったのだ。



父は私のことを思い出すことはあるのだろうか?


11歳の私の誕生日に、
無神経なことをした自覚はあるんだろうか?


私、兄、妹に謝りたいと思ってる?


父は私たち家族のことを、ふと思い出すことはあるんだろうか?



なにがあっても私の父はあの人しか居ないので
たまに夢にも出てくるし、ふと生きてるのかな?何してるんだろう?と思いを馳せることがある。



時間薬のおかげだけど、
純粋に、

元気でいてくれたらいいなぁと思います。



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