見出し画像

頑張りの評価のしかたの話①

今日、会社の同僚と話しているとこんな話になりました。

「頑張っていてもできないのと、頑張ってなくてできないのは違う」

というAさんに対し、

「自分がどれだけ頑張っているかなんて他人からは測れない」

とBさん。

なるほどなぁ、と思う私。

この場合、どっちが合ってるとか間違ってるではなくて、
何の観点から話しているかによって
たどり着く結論が変わるんだろうなと思うのです。

例えば、Aさんが求めるのは「他者からの過程の評価」。

恐らく頑張っている自分を評価してほしい、という思いと
周囲にも自分と同じだけ頑張る姿勢を求めているんだろうな、と思います。

対して、Bさんが大切にしているのは「自己評価」。
自分が認める努力は、他人がなんと言おうと揺るがない。という考え方なのかなと思います。

どっちの考え方も“ある”と思う。

ただ、私はBさんの考え方のほうが
生きやすいだろうなと思います。

目に見えないものを測ろうとする辛さ

私は「頑張り」ってそれぞれの感覚的なものだと思っていて、
主観に100%委ねられているものだと考えています。

某ゲームみたいに“がんばりゲージ”があれば
他人から見て「あの人、頑張っているな。頑張りすぎているな」って分かるけれど、
生身の人間にはそんなもんありませんからね。
主観的判断になって当然です。

結局、主観で「頑張っているように見えている人」を
他人が評価しているだけなのだと思います。

そこに危うさがあると私は考えています。

長くなるので②に続きます。
次の記事は「私はこんなに頑張っているのに…」と不満や不安を抱えやすい人には是非読んでいただきたい内容です。

次の記事はこちら

#自己分析 #メンタルヘルス #頑張り #自己肯定感 #客観的視点 #マインドリセット #自己流




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?