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努力は報われるのか

こんにちは、かしぱんです。

夏に帰省できる保証がないので、今週、通院のついでに数日帰省することにしました。

今からうきうきです。


「努力は必ず報われる」

誰もが一度は耳にしたことがある言葉だと思います。

今日はこのことについて少し考えてみます。

さかのぼること半年前。

自分は、とある大学の推薦入試を受験しました。

試験科目は、志望理由書や活動報告書などの事前に提出する書類と、面接、そして共通テストでした。

面接練習は、自分のことをよく知ってくださった先生が、体調に合わせて無理のないペースで練習をしても完成できるようにと、10月上旬から始めてくださいました。

毎日、人が少ない時間帯を狙って、朝は6:45から、放課後は19:00から練習しました。

おかげで試験当日には、面接に関してはほぼ完成に近い状態で臨むことができました。

提出書類も担任の先生が熱心に何度も添削指導をしてくださいました。

残されたのは、共通テスト。

大コケでした。

模試では7割を取れていた日本史が、4割。
得点源だったにも関わらず、大失態。

推薦入試はもちろん不合格。
それどころか、志望していた大学はすべてE判定でした。

ここで頭をよぎるのは冒頭で述べた

「努力は必ず報われる」

という言葉。

さらにそのあとに続く、

「報われない努力があるならそれは努力とは言わない」

という言葉。

それなら、

自分のこれまではなんだったのか。

意味のない時間だったのだろうか。

高校生活3年間、部活もせず、毎日完全下校の時間まで学校に残り、勉強に費やした時間はすべて無駄だったのだろうか。

共通テストが終わってからの1週間は、涙が止まらず、なにも手につきませんでした。

それでも迫ってくる国公立の出願。

なんとか合格できそうな大学に出願し、再び始まった面接対策。

「また落ちるんじゃないか」
「どうせ何をやっても無駄なんだろう」

そんな思いも頭の中にはありました。

そして試験当日。

不思議と緊張はありませんでした。

その時にふと、

「面接に向けてあれだけ費やした時間と労力が、緊張を自信に変えている。努力についてくるのは、結果じゃなくて自信なんだ」

と思いました。

報われる報われないは、結果で決まるわけではないと気づいたんです。

それまでの自分は「結果より過程が大事」と何度担任の先生に言われても、受け入れることができませんでした。

でも、この時からその言葉に納得できるようになりました。


あれから3か月。

無事に合格し、今は大学生です。

今、このことについて考えると一つの違った見解も得ています。

それは、

「社会と自分とでは、努力が報われるという言葉の定義が違う」

ということです。

この社会は努力に対して結果を求めます。

だけど、自分や自分の周りの人ははそうではなかった。

たぶんそういうことかなと感じています。

それでも、自分はまだ結果主義ですが、経験をもとに気づけただけでも成長な気がします。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

ではまた。

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