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小さな日常、小さなドラマを見つけると

ここ最近、心に余裕があるのか、諦めのような気持ちも備わっているせいか、小さなことでクスクス笑えることが増えた。

テレビを見ていて、くだらないことに家でひとり声出して笑っているし、本気で道端の犬とか、小さい子供、おばあちゃんに笑顔を向けられる。なんかゆっくり、そして穏やか、目の前のものを直視しているような、そんな気持ち。


逆にそれ笑っちゃいけないでしょ!ってことにもクスクスしてしまう。もしかしたら不謹慎なのかもしれないね。

例えば、職場のおじさん(いつも頭にバンダナを付けている)が、女性の作業デスクにコーヒーをこぼしていたことが発覚し、20歳も若い女性に強く当たられていたとき。

おじさんは、女性よりも仕事の暦が長くベテラン風なのに、怒られてしょんぼりした後ろ姿が少し可笑しかった。責められ、ため息をしつつホットコーヒーで一服している。

バンダナおじさんは、まぁ不思議な空気感があるので結構好きで、怒られしょんぼりしている様子に、隣に行って挨拶しにいく。(まぁしょうがないっすよ!気にしないほうが良いですよ!)なんて直接的なことは言わないが、そんな感じのテンションで話しかけてみた。おじさん、まぁしょうがないよ。そんなこともあるさ。

なんだか、人の関係性とか、怒りのポイント、沸点ってそれぞれで面白いなって思い、またクスッとしてしまう。

また、コーヒーをぶちまけられた女性は、ここ最近全身に蕁麻疹が出るようで、その日は早退し病院に行くとのこと。
「最近ストレスが溜まったりすると、全身に蕁麻疹が出てきちゃうの〜」
といっていた。会社のデスクに座っているだけで、また上司に言われる言葉に裏でキレていることも多々あり愚痴は聞いていた。

あんだけ強気で怒っていた女性も、抱えているストレスがあるようで、ひとりひとり別々のストーリーを持って、そこに居ることに

私自身ひとりで悩むことも当たり前のように感じて安心したのでした。

一点で繋がり、一緒の方向で、寄り添って「怒ったり」「喜んだり」「泣いたり」「頑張ってみたり」するけれど、本当はそっぽ向いた人間関係を見つけると少しのドラマとリアルを感じる。

一見、同じ道を通過したとしても、同じ場所にいたとしても、感情は別々にあって、そしてそこに必ず何かが生まれてる。

また、昨日見かけた出来事。

私は、お昼時新宿京王線に乗り換えをしようと改札を通ると、1人のおばさんが
「すみません、ペン落としましたよ!ペン!ペン!」
と私とすれ違うように改札を抜けるキャリアウーマンに話しかけていた。

しかし、エアポッドで音楽聴くキャリアウーマン気付かず、おばさん改札で足止めくらい、結局その「ペンを渡したい熱意」は伝わらず、という場面に出くわす。

渡せなくて残念な空気感と、何もなかったかのように歩いて行ってしまった女性。もう少しで交わるところだったのに、届かない気持ち。

「うわぁ、私なんか見ちゃったよ・・」

ペンというものを通して繋がった、全く見ず知らずのふたりの関係性を目の当たりする。そして、第三者の私が目撃してしまう無関係からの関係性。

小さなことだけど、今見かけた関係性ってすごくドラマチックで、面白いなと思ってしまう。おばさんは気の毒だけど、プチドラマに出くわしたようで私は少し嬉しかった。

結局そのおばさんは、そのペンをカバンの中にそっと入れて、またどこかへ歩き出していったのでした。🍊笑

私は散歩が好きだし、何か発見することが嬉しい。人の関係性も、誰かの日常をチラ見してみるのも好き。基本自分本位で生きて、自分の時間で生きている。でも、やっぱり誰かと繋がるのは嬉しいし、まったく関係ないところに感動や滑稽が溢れてる気がする。
自分だけに、目先をやらないで、時には周りの様子に身を流してみるのもいいかもね。

今日も歩いて行こう。また何か発見できるはず。


#散歩  #私の趣味 #エッセイ #日常 #日記 #人間観察




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