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#170 noteすることで自分の機微に触れる

おはようございます。fumioです。
今日のお題、自分のことを都度、察するために仕事をしてきたいようなものたから

■自分のこと
 自分のことをどのように、考えているのだろう?
私は、自分が苦手でしかたがない・・・・ひとつひとつの場面で、勝手に感情が湧いて、こころがゆらぐ・・・。うまくできるだろうか?逃げたい!やりたくない!のネガティブなものから、嬉しい!たのしい!ほしい!と勝手に・・・。

 ひとつひとつが、生まれた時からの真っ白なもでじゃなく・・。今日まで来た瞬間、瞬間に向き合った人やことからできがった産物に違いない!

 そのお蔭で、対処法も身に就いたけれど、苦手なものは、より強固になったことは確かな気がする。

■ひとのこと
 「みんな同じ」私のまわりの大人(今では、高齢者の部類)はこの言葉をよく口にした。今から、環境と状況を考えれば・・・・。物が溢れ、やったら結果が残り、未来が単純に見えた気がしたのかもしれない。

 私には、「みんな同じ」が苦痛でしかなかった・・。みんな同じような「ふるまい」をしていればよかったが、同じように「ふるまえない」と苦しいしかなかったから。

 「みんな同じじゃない」人を知るとき、人と自分の距離が縮んだ気がして
この対人の仕事に就いたと今は思う。
(余談)(「民衆の世界が世間に知られるのは不幸によってである」民俗学者の宮本常一さんのことばです。丁度、読んでいる最中。)

■ひとのことは、わからない
 結論から言うと「人の気持ちは、わからない」。わかったことは「そのときどきで『折り合いがつくか』である」

 介護のこと、自分のこと、仕事のこと、そして、親のこと・・・。人は、「動きが鈍くなる相手」と向き合うと本当の自分に向き合うことができるようになるものらしいことがわかったことだ。

 しかし、その向き合い方もそのときどきのできごとや道具で、人ととの距離できることもわかった気がする。

■結局、自分の知らないを知るに変える
 知らないことは、知らない!
例えようがないけれど、私のことで例えるなら・・・実ほど頭を垂れる「稲穂」になったり、ならなかったり!といったところだろうか?

 知らないことだらけと、知ることに臆病で、知りたがりで、めんどくさがり(笑) 知らないことには、「困る」ので知るに変えていく自分がいる。

 50代とは、めんどくさい。こんな話をする相手が少なくなるからだ!これから、どんどん少なくなるだろう。

 だから、noteで書くようになった・・・←今、ココ

■抽象的なこと
 Twitterでの140文字でこんなような気持ちをtweetしていたら、絡んでくれる方がいた・・・「何を言いのか?だけど、考え事が面白い」との言葉を頂いたこと。

 今日のnoteはそんな1000文字なになったかな?
 
 
 

 
 

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