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おはようございます。 fumioです。昨晩、お酒を飲みすぎて喉をやっちゃいました。私は、いつまでも同じだわ~と(勝手に振り返る)ただいまの
私です。

さて、今朝のお題は、新実在論です。
富士山を使って私がこのnoteに書いた内容です。こちら↓

私が、この生業で一番大切に考えていることです。
私たちは、常に、見たモノを次の様に解釈します。

この画↑が何に見えますか?(だまし絵)というやつですね。
有名なのは「ルビンの壺」という画ですが・・・・。答えは、
・うさぎ または、 アヒル
です。
私たちは、観念と直感でいろいろに解釈してしまいます。
「正体見たり、枯れ尾花」ということばもありますが、
幽霊と思って恐る恐る見ていたものが、実は枯れた「すすき」だったということで、物事をこわごわ眺めていると、実際とはかけ離れたとんでもないものに見えてしまう
・すすき・・・見たものをそのまま認識(素朴実在論)
・幽霊・・・見たものをすのまま実在するとは考えず、別の内科である可能
      性も考える(二元論)

こんな解釈や心の動きでいろいろな考えが生まれるの、楽しく、私たちらしく、私たちの人生を豊かにも、悩ましいものにする(誤解)

そして、本日の新実在論ですね
富士山を見て
➀まず富士山があり
②私から見る富士山がある
③他者が見る富士山がある (④富士山はきれいだと感じる気持ち)

何を書いているか・・・伝わりにくいですね。
➀そこにある富士山
②目に映る富士山
③他者がみる富士山
④心で感じる富士山
事実や空想や幻覚、思い出など・・・その時々であるいは人との愛で・・富士山は・・・存在している。こんな考え方をするのが新実在論です。

私たちの生活を豊かにもするし悩ましいものにする、私たちの活動の玉のもを説明したものです。

このnoteの活動も私と皆さんとの間に➀~④が起こっていますよね。
私は、こんなことから相談者のバイアスや大切にしているものを汲み取って
一緒に、先へ進むことを生業しています。



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