“3歩進んで2歩下がる”を受け入れると心は楽になる
若い世代は知らないかもしれないが、昔、水前寺清子さんという歌手が「三百六十五歩のマーチ」という歌を歌っていた。
その歌詞のなかに
“3歩進んで2歩下がる”
という部分があり、とても納得したことを覚えている。
この”3歩進んで2歩下がる”という表現はとても的を得ていて、人生はこの繰
り返しだなぁ、と常々思っている。
生きていると良いこともあれば当然嫌なこともあり、
悔しい思いをしたり悲しい思いをしたりと、感情が右に左にと動いていく。
嫌なことによって世間にムカつくときもあるし、腹立たしいこともあるし、悲しくてどうしようもないときもあるだろう。
だが、それと同じくらい良いことが起きたときは世の中は華やかに見え、人は優しく感じ、生きるとは素晴らしいという思いに包まれる。
人間というのは本当に面白いもので、このようなことを常にくり返し、毎日を過ごしていく。
人生において良いことだけ起きればどんなに楽なことだろうか。
嫌な感情に振り回されず、嫌なことに頭のなかを支配されず、気持ちは常に穏やかに。まさに理想的と言えるだろう。
だが、あくまでそれは理想であって現実的ではない。
良いこともある分、嫌なこともあり、それを乗り越えているだけでも人間という存在はとても素晴らしくすごい生き物だと思っている。
心の病に陥ってしまう人の多くは、この「嫌なこと」に対しての感度が非常に高いのかもしれない。
気分をうまく切り替える、頭のなかを違うことに置き換える、ということが苦手であり、知らない間に嫌なことに頭も心も支配されてしまい飲み込まれ、最終的に心の病に陥っていくのだと思う。
人間であれば嫌なことがあったとき、誰でもが気分が滅入ったり気持ちぐったりすることだろう。
しかし、それも時間の経過とともに気分も気持ちも回復に向かい、日常の状態を取り戻せる。
だが、心の病に陥ってしまう人は回復へのプロセスが長引いてしまい、悶々と気分が晴れない日が続いてしまうのだろう。
心をうまく回復に向ける、心持ちのコツとしては、やはり、
“3歩進んで2歩下がる”
が人生そのもののプロセスであると理解できるか?にかかっていると思われる。
何事もスイスイ困難なく進んでいけば良いが、そんなことはまず無い。
何か物事を進めたときには大小あるが何かしら困難にぶつかり、足が止まってしまう、手が止まってしまうこともあるだろう。
しかし、それでも適切な方法を探し、気持ちを引き締め、改めて歩き続けることで道は開かれていく。
立ち止まったまま、手を止めたままだと永遠に適切な方法は探り出せないし、道は開けはしない。
頑張って踏ん張ってなんとか3歩進んでも、どこかの段階で2歩下がってしまうときがくる。
そのように、3歩進んだら2歩下がると最初から念頭に置いておくことで気は楽になり、肩の力も抜けるのではないだろうか。
3歩進んで2歩下がってしまったとしても、重要なことは1歩は進んでいるという自覚だと感じている。
2歩下がってしまっても悲観することはない。
1歩は確実に進めており、その延長線上にゴールは確実にあるのだから。
なので、いま上手くいっていなかったり、何だか物事が良い方向に進まないと感じているときは“3歩進んで2歩下がる”を思い出してみると良い。
少しだけ気楽に「そんなもんか」という心持ちができたら、それで上出来だと個人的に思っている。
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