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真っ黒に日焼けをしていた小学生時代。
はじけるように波と砂と一体になって遊んだ。


恋に恋していた中学生時代。
友だちと暗くなるまで波打ち際に座っていた。
高まる疑問、どこから私は来たんだろう?
そして、なぜ?


なんで自分は他の人とは違うんだろう。
そんな感覚を麻痺させる様にはしゃいだ高校時代。
教室の窓から海を眺めながら、
“きっといつか”に目を凝らしていた。

大学へ進み、正解は人の数だけあることを知った。
自分以外の誰かに勝とうという意識がない私は、
“みんな”が選ぶ潮流には乗れないことを知った。
“みんな”が選ぶ潮流には乗らないことにした。

無関心を装った。
それは罪悪感を伴った。


そして普通のお母さんになった。

そのせいで自分はつまらない人生を歩んでいるのだろうと悔やむ日々が続いた。欲を持たないように、物ごとを深く考えないように、目の前のことをひたすらやった。

それなのに、子ども達が見せてくれた世界は、徐々に私を変えた。子育ては、親の自分が成長することだった。


いろんな人に出会い、語り合い、体験を重ねて、

感じる・学ぶ・分かち合うことが生きること。

そして人間は1つの海のようなもので、私はその中のちいさな波。

そう思えるようになった今、子どもたちは巣立ちへの助走を加速させている。

✱ ✱

今朝の新聞に「閉場ビーチ 人の波」と見出しが出ている。久しぶりに海のそばにある実家に帰ったのに、今年は海岸へ足を運ぶことができなかった。

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