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親の世界と子の世界は、延長線上にある。

高校だったか、数学の授業で

「カップ」 ∪ とか 「キャップ」 ∩とか、
⊂ とか ⊃ とか、


記号のやつ 出てきませんでしたか?





いまだに 使い方がよくわかっていませんが 笑、
ちなみに こちら↓ 

の 記号。


A ⊂ B


と記すと、「AはBに含まれる」 と 読むそうです。


A ⊆ B のように 下に=が 付いた場合は、
それに加えて A = B の可能性もある、ということ。



それで言うと、



子の世界 ⊆ 親の世界



と 描き示すことができます。




『子どもの世界は、親の世界に含まれる』




これは そのまま、親の世界の中には 必ず子どもの世界も含まれている・ということではなく、
 (まあ それには 違いないのですが)




子どもが作っている(と 思われる)世界は、

実は【親が作っている世界】ということ。




厳密には、私が見ている世界は 私がすべて作っていて、私が見ている、私の中の子どもの世界 も、実は『私が』 作っている・ということになります。

(子どもに限ったことではありませんが)




もちろん 子どもは子どもで 自分の世界を見て 自分の世界を作っている訳なんですが、それは 私が見ている世界とは 全く別の世界線なんですね。

子どもが作り出している 私(親)の世界は、私ではなく 子ども自身が作り出している・ということになります。




私は 常に、【私が見ている世界】を作り続けていて、それはつまり【私の世界に住んでいる住人】も そこに含まれている・ということなのです。

つまり
【私の世界の中にいる 子ども】も、私が 作っている。





…… なんだか とんちみたいですよね。笑





たとえば、

私が、【世界は 人にやさしくて、あたたかい】と 思っているならば、

自分の子どもも、【人にやさしくて あたたかい世界の住人】に なるということ。


このとき、実際に 子どもがどう思っているか、とかは 関係ない。
それすらも 私自身が作っているのです。



もし、私が【努力は報われない。人は 本心では永遠に分かり合えない。正直者は 馬鹿を見る、せちがらい世界】に 住んでいたとしたら。




…… 子どもも 知らず知らずのうちに そんなせちがらい世界の住人になってしまう。まあ 大変。




と いうことはですね、

もし、目の前にいる子どもや 家族や 友人が、何かしらのトラブルに巻き込まれていたり、せちがらい出来事に翻弄されていたとしたら ───。




相手を助け、救い出したいとき、


やさしい言葉をかけてあげるのか、

物理的な援助をしてあげるのか、

代わりに 痛みや負担を請け負ってあげるのか、

その人を困らせる何かに 働きかけるのか。




…… あなたの差しのべたその手が、どれほど相手の支えになろうとも、あなたが【住んでいる世界】が 変わらないとしたら ────



そう、【私の世界】が 変わらない限り、どんなに手を差し伸べて 援助しようとしても、【せちがらい世界の住人】のままということ。

たとえ そのときには改善が見られていたとしても、相手が住んでいる世界が そのままであれば、

本当の意味で 悩みや苦しみを拭うことは、相当 難しいことなのです。




逆にいうと、私が、【私の世界】を 心地よいものに変えることができたなら ────。









自然と、相手も【心地よい世界】の住人になれるということですよね。





『相手の世界を 住みよいものにしてあげよう』と 働きかけるのではなく、

『自分の世界を、住みよいものにするために働きかけること』


そうすることで、結果的に 相手の環境も変わり出すのです。





相手の世界 ⊆ 私の世界




なのだから。


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