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母になること、私であること

昨年出産をしてから2ヶ月と少しが過ぎました。

子どもが欲しいと思ってから授かるまで、授かってから出産するまで、そして出産してから子どものいる毎日に適応するまで…とここまで長い道のりがあり、今少しだけ一息ついています。

書きたいことはたくさんあるのですが、まずは授かるまでのことを書いてみたいと思います。

自分らしくあることも、子どもを授かりたいという気持ちも両方大切にすること。

結婚してからの9年間は、その難しさを感じながら、でも何とか希望を手放さずに歩んできました。

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2013年(27歳)

結婚。
休日出勤や終電帰りもあるようなハードワークの日々だったこともあり、年度末で勤めていた会社を退職することを決める。

2014年(28歳)

4ヶ月ほどお休みした後、インテリアメーカーへの就職を決める。
少人数ゆえのフレキシブルさ、自然の中にあるオフィス、19時には帰宅できる生活を楽しむ。
英語を学んだり、図書館司書の資格を取ったり、1日カフェイベントを企画したりも。
まだまだ夫と二人の生活を楽しみたかったので、子どもを授かることは考えていなかった。

2015年(29歳)

結婚して2年。
新しいお仕事にも慣れてきて、子どもを授かることを考え始め、検査も兼ねて病院に行ってみることに。
身体の状態は特に問題ないとのこと。
すぐにできるかなと思っていたけれど、意外とできない…という日々が続き、少し落ち込む。
病院に通いながらヨガや食生活の見直しも始める。

2016年(30歳)

夫のアメリカ転勤が決まる。
結婚当初から夫婦で一緒に暮らしたいという気持ちを持っていたため、仕事は退職。
海外での出産に不安があり、駐在期間も1年半と決まっていたので、妊娠に向けた通院は一旦中断。
駐在先で出会った女性はお子さんがいらっしゃる方が多く、仲良くなれるだろうか…と不安だったけれど、子どもの有無にかかわらず楽しくお付き合いできることもあるのだと知る。
一方、友人から出産報告を受ける機会が増えてきて、祝福する気持ちと自分は産めるだろうかというモヤモヤが入り混じり始める。

2017年(31歳)

引き続きアメリカ生活。
ワークショップの開催、翻訳、大学での日本語チューター、二カ国語でのインタビューブログ執筆などできることは何でも挑戦してみる日々。
色々な国籍の方とお話しする中で、結婚観や子育て観もそれぞれなのだなぁと思う。
お世話になっていたNPO法人の方は中国で産まれ、養子縁組でアメリカ人の両親に育てられた方だった。
いつも思いやりに溢れていたその方の在り方から、血縁に関係なく育まれる愛情があるのだと知る。

2018年(32歳)

日本へ帰国。
急に心に穴が空いてしまったような感覚になる。
何気なく耳にした「結婚の次は出産と家を建てるという関門をクリアしないとね」という言葉に勝手に傷つく。
転職エージェントに登録したところ「30歳前後の既婚女性はなかなか決まりにくい状況です」とフィードバックを受けて落ち込む。
何を基準に次の仕事を決めよう…と迷っていた中、新しい組織の立ち上げにあたって人事を募集している記事を発見。
コンセプトや業務内容を読み「これしかない!」という気持ちが湧いてくる。
妊活を優先して残業のない仕事・雇用形態を選ぶという案もあったけれど、夫と話し合い上記の求人に応募し、働けることに。
チャレンジだらけの仕事がとにかく楽しく、没頭する日々。

2019年(33歳)

中心となって進めていた採用業務が落ち着き、改めて今後のことを考える。
人事の仕事に活かせそうという観点もあり、コーチングに興味を持ち始める。
できることなら子どもを授かって産みたいという気持ちがあったため、仕事終わりや土日で通えそうな病院を見つけ、通院を開始。
待ち時間が長く、先生とのコミュニケーションも難しく感じて消耗しながらも、仕事を続けながら通える病院は他に見当たらず我慢。
なかなか授からないが、淡々と通院を続ける。
「治療はしんどくて当たり前だ」と思っていたので、自分の気持ちは感じないようにしていた部分もあった。

2020年(34歳)

治療疲れを感じていた状況の中、出張先で足を骨折。
妊娠に向けた治療は中断せざるを得なくなり、落ち込む。
療養のため在宅&短時間勤務となり、時間に余裕ができる。
コーチングの学びをオンラインで継続する中、コーチングと選書を組み合わせたセッションのアイディアが浮かび、始めてみることに。
また、夫の転勤の可能性や家族のことも考慮して春に転職活動を開始。
夏、以前から闘病していた父の病状が悪化したことから転職活動は中断。
秋、転職活動を再開。
業務内容や社風(家族やプライベートと仕事の両立を大切にしている文化)を知る中で、チャレンジしながらも自然体で勤務できるイメージが湧いたため、今勤めている会社への入社を決断。

2021年(35歳)

2月に現職の会社へ入社。
入社前後でのギャップがあまりなく安心する。新しい業務を必死に身につける日々。
春に父の病状が悪化し、そのまま天国へ旅立ってしまう。
気分が沈む毎日が続き、婦人科系の器官に不調が起きる。
父の闘病・旅立ちを経て家族について考える時間も増え「やっぱり子どもを授かりたい」という気持ちに気がつく。
会社での業務が落ち着いてきた冬のタイミングに、病院を変えて再度治療に取り組むことに。
新しい病院は先生も看護師さんも温かく対応してくださり待ち時間も少なく、「治療は辛いもの」というイメージが覆る。

2022年(36歳)

フルリモート・フレックス勤務のおかげで、業務に支障を及ぼすことなく治療が継続でき、春に妊娠が判明。
倦怠感や息切れ・腰痛などのマイナートラブル、夫のコロナ感染など様々なことがあったものの、週数を少しずつ数えながら過ごし、出産の日を迎えることができた。

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9年間を振り返ってみて、本当に様々な要素が混じり合っていて、その都度重心の置き方を変えながらなんとかやってきたんだな…と感じます。

自分のキャリアやライフワーク、夫の転勤、実家の家族のこと、そして子どもを授かること。

9年前の自分がこの年表を見たら、予想と異なっていてびっくりするだろうし、目まぐるしいな…と感じるだろうと思います。

落ち込むことも不安になることもたくさんありましたが、その時々で優先したいことは何なのかを自分に問い、家族と話し合い、着実に取り組むことが大切なのだという学びにもなりました。

子どもを授かることは最終的には人の力の及ばない領域だと思うのですが、それでも踏み込んでみたいという自分の気持ちも感じました。

なかなか授からなかったので、「なぜ子どもが欲しいのか?」という問いにも向き合わざるを得ませんでした。

同年代の友人が授かっているからじゃないかとか、社会の「結婚したら子どもは持つもの」という声に影響されているんじゃないかとか。

グルグル考えているうちに、そもそもこんなことを考える前に授かりたかったという気持ちになったり。
夫婦二人での幸せの形も考えていました。

「なぜ子どもが欲しいのか?」という問いに対する答えの言語化は今も難しいなと感じています。

色々言葉にしてみてもどれもしっくりこなくて、授かることができた今、その機会に感謝して、愛情と敬意を持って育てたいという気持ちがあるのみです。

20代後半〜30代前半は、楽しいこともたくさんあったけれど、なかなかにしんどい時期でもありました。

過去に描いていた理想の自分像との乖離に悩んだり、友人たちとの距離感が変わっていくことに寂しさを感じたり、出産の肉体的なタイムリミットが少しずつ迫ってきていることに焦ったり。

今回たまたま子どもを授かることができたけれど、パラレルワールドにいる”授からなかった自分”の痛みも時折感じるのです。

親になってもならなくても、結婚してもしなくても、それぞれの葛藤や悩みがあると思います。

立場で分断されるのではなく、それぞれの生き方を尊重しあえる関係性を築いていきたいです。

子育てが始まり、「母になっていくことと私であること」の間で、新しい喜びと葛藤に出会っています。

まだ全然答えが見えないことだらけですが、まずは今この時に全力で向き合っていきたいです。

この場でも、感じたことを少しずつ綴っていけたらと思います。


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