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紺色の振袖の美しさを理解してもらうのはやめた

(※写真は浴衣ですし、今回のお話とは関係ありません😂)

成人式の季節はとっくに過ぎましたが、ふと振袖の色で母親とあーだこーだ言いあったことを思い出しました。
私は紺色の振袖が着たかったのですが母はというと、赤色の振袖を着て欲しかったようです。

「赤色の方が可愛いからよくない?」と勧めてきて。

「たしかに、お金を出してもらう立場だけど着るのは私じゃ!」
と思って聞き流し、結局自分の意思を貫いて紺色にしました😂

思えば私は幼少期から、「ああしたい」・「こうしたい」といった意思が強いタイプで、とにかく「私はこうしたい」をいつも貫いてきました(笑)。

でもそれが皮肉なことに、母親にとって"良し"とするものと真逆だったんです。
特に海外(といってもとりわけ途上国)志向のある私は、そういう経験がない母からするとかなり驚きだったようです。
(母には似ていないだけで、嗜好は父に似ているんですけどね😂)

悪気はなく、むしろ心配だからあれこれ"アドバイス"を言ってくれたんですが、私はもともとバッチリ計画するよりもぶっつけ本番の方が好きなタイプなのでその“アドバイス”はかえって苦しいものでした。

たくさんの好きなものがある中で、一番感情が昂るものは(悲しいけど😂)全く同世代と盛り上がらないものだった私は、同年代に理解してもらおうと期待することはやめていましたが、一番身近な存在である親に自分の趣味思考を理解してもらえないというのはやはり堪えるものでした。

どうにか理解してもらおうと、世の中には色々な世界があるから私の目指している方向性は母が思うほどぶっ飛んでないよと伝えたくて🤣、様々な人の生き方を提示したこともありました。
ex)お子さんと家族みんなで世界一周を目指している人とか、
大学を卒業後に個人で起業した人とか
(その当時私が目指していたものと、近いことを実現されていた方を調べては挙げていました。)


でもそんなやりとりを繰り返しているうちに、気がつきました。


「理解してもらおう」という考えは傲慢だと。

理解し合えるという希望は持ち続けるけれど、"理解してもらおう"というスタンスをやめました。

正しさでは伝わらないこともあります。

いくら血のつながりがあっても違う人間なので、「素敵」だと感じるものにも違いは出ます。
どんなに分かってもらおうと伝えたところで、お互いの方向性は最初から違うものなのです。


しかも、母親が本当に求めていたものは

理由や意見なんかじゃなくて“娘に甘えてもらうということ”ではないかな、と感じました。


なので私は「何も言わずに見守っていてほしい」と伝えた上で、代わりに私ができる甘え方を模索してこう伝えました。

「エビフライ(タルタルソース付き)を作って!!🍤」と😂


※母は紺色も好きですし、なんだかんだ仲は良いです😊


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