時に過去の話をする大切さ
クラス会は「時間の無駄」誰かがそう言っていた
だがしかし、そうだろうか?
同じ時間、空間を共有していたとしても、
見えている世界は本当に様々
昨日のクラス会も一人一人感じ方が違って、見えている景色が違って、記憶の残り方も違うことに気付かされた。
たまにの過去交わっていた人達と昔話をすることで、あの時そう思っていたのか。そんなことが印象に残っていたのね。と自分自身の視点と違う世界観を教えてくれる。
そして過去の出来事をプラスに受け止められている人々が集まるのだ。
この世には「事実」しかない。
その事実を受け止めるのが各々の「感性」と「解釈」だ。
その人の持つ感性が事実に対して感情を呼び起こし、その反応と解釈の仕方によって世界の捉え方が同じ時間、空間を共有している人の間にも差が生まれてくる。
人間は「反応」する。だが、それを受け止めた上で「解釈」を選ぶ事ができる。
ただ毎日の生活の中で瞬時に解釈を選ぶことはなかなか難しい。
クラス会は過去の話をする事があるからこそ、
その時の感情が湧き立ちはすれど、時間という距離があるからこそ、通常より少し冷静に物事を見つめ、解釈を選択しやすい。
その一呼吸置いて解釈を選択する感覚を学ぶことは慌ただしい日常生活にも応用し、心地の良い選択を反応ではなく、自分の意思で選択できるようになる。
また、家族間でも、記憶に残る場面や感じ方は大きく異なるからこそ、「してあげた」ことが必ずしも相手にとって「してもらったこと」として、AをAとして受け取ってもらえてるわけではない。
Aが相手の感性や解釈によってBとして受け取られることもある。
だから人間は面白いんだなあと。
家族は近いからこそ同じ感覚であると錯覚しがちだが、きちんと違う人間として丁寧に取り扱ってあげたいなと思った深い1日だった。
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