優しい偏見

何年かぶりに24時間テレビを見ていた。
元々そんな好きじゃなかったけど、自分が精神疾患を患ってから余計に拒否反応が出るようになった。
その時は他に見るものもなく、たまたまやっていたドラマを見始めたら気になってしまったんだ。

『虹色のチョーク』というドラマは、知的障害者を七割雇用している工場の実話を元にした話。
私の彼も軽度の知的障害を持っているから、気になってはいた。
自閉症の人がメインに描かれていたけど、障害者の行動や言動がリアルだった。
一緒に見ていた父がその場面を見て、怖いと言った。
私は心が冷えるのが分かった。

考えてみれば、父はよくそういう言動をする人だった。
大抵は『自分の理解の範疇を超えた物事は怖い』のだ。
例えば性的マイノリティの人とか、道を塞ぐ外国人とか。
理解出来ないから拒否する。怖いと言って遠ざける。
そんな人なのだ。
障害があっても恋愛も生活も”普通”と一緒だと、マイノリティでも”普通”の人間だと思わないのだ。
そんな父が苦手だが、もうどうにもならないのかもしれないと諦めている。
不快や不安にならないために、そういう話はしないように避けて対策をしている。


少し前に『優しい偏見』を提唱していた動画を見た。
それは夫が育児・家事をしている妻へ優しい言葉をかけるためのハウツーだった。
でも、これは何にでも言えると思っている。
『自分には理解できない行動をしているけど、もしかしたら障害特性かもしれない』と思うだけで、少し優しくなれるかもしれない。
これも偏見だと言われたらしょうがないけど、理解出来ないと突っぱねてしまうより良いと思う。
彼らだって”普通”に生きてるし、苦労もしている。
もちろん理解出来ないことは怖いけど、歩み寄るには少しの『優しい偏見』が必要かもしれない。

ほんの少しでも優しい世界になったら、私も私の彼も生きやすくなるのにな。

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