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ワンネス体験記録① 創造主との共鳴

 2月14日。今日は私にとって、特別な記念日です。誕生日は、私がこの世に生を受けた日。そして今日は私にとって、第二の誕生日です。

 うまく表現できるか、どうか、分かりません。何度か友人たちに話したことはありますが、なかなかうまく伝わりません。尊敬するアートセラピーの先生に、そのジレンマを伝えたとき、こうアドバイスをくださいました。

 「そうしたことを伝えるには、言葉が熟するまでの時間が必要。いつか、伝わる言葉が出てくるようになるよ」と。その先生は帰化されたドイツ人で、哲学者でもあり、つらい時期に手を差し伸べてくださった恩師でした。その時の先生の言葉が、ずっと心の内にありました。

 あの体験から、22年を経てのシェアです。伝わる言葉で書けますように。

奇跡の朝、それはキッチンで始まりました。

 その日の朝、私は朝食を作ろうと、キッチンに立っていました。まな板を使って、トントンと野菜を切っていました。
 すると突然、足元から、ものすごい量のエネルギーが上がってきました。圧倒されている間にエネルギーはすごい勢いで背中を突き抜け、頭上にポーンと抜けていきました。
 
 何が起きたのか分からないまま、呼吸を止め、下から上がってきたエネルギーにつられて、両手を万歳したように高く揚げていました。
 その後「フー」っと、大きく息を吐きながら腕を前方に降ろすと、たまたま指先が重なって、お腹の前に大きな円ができました。

 その瞬間、円の中に「世界」がすっぽり、入っていたのです。

 私は、ただ静かに、その「世界」を見つめていました。
 私は「空(くう)」の中で、ただ静かに「世界」を見つめている「眼」でした。

 「世界」の中には無数の人々がいます。「私」はすべてを見守りながら、同時に、個に焦点を合わせることができます。私は「観察者」であり、「感情」や「思考」はなく、ただ、「私」という意識だけが存在しています。

 それは、冴え冴えとした意識で、「目醒めた状態」とでも言うのでしょうか。今までは「起きていたけれど眠っていた」とでも言えば良いのでしょうか。

 そして次の瞬間、その意識がすーっと消え、頭上から大量の「愛」のエネルギーが、シャワーのように降り注いできたのです。

 それは、「愛」としか表現できません。
 小さな私の身体では、とても受け止めきれない量の愛のシャワーです。ただただ圧倒されながら、愛に包まれ、満たされて、身体と心が反応し、次から次へと涙が溢れていきました。 

 私はこのとき、初めて「無条件の愛」というものを知りました。

私たちと、創造主との関係


私たちは愛された存在だったのです。

 創造主は常に私たち一人ひとりを、観て、感じて、愛を送り続けている。一瞬だって、そこから離れることはできない。「存れ」という創造主の意図(愛)なくしては一瞬だって存在することはできない。それに気づかず、創造主から距離を置いているのは私たちの意識(自我)だった、、、

「愛」という表現が良いのか、「慈悲」という表現が近いのか、、、
創造主は確かに高いところから、私たちを見守っている。愛おしさとともに。
高いところというのか、背景に下がってというのか、、、外側の次元から。

その日はその後もミラクルが続き、子どもの頃からずっと疑問だったことに、答えを得られた一日でした。

 木に例えると、私たちは一枚一枚の葉であり、枝をたどって、根本の大きな太い幹までたどり着いたときには、私たちは一つ。
 「私は神である」には、必ず「あなたも神である」がついていて、「私たちは神である」となり、これは切り離せないワンセット。

 宇宙=創造主ではなく、宇宙は創造主の中に在る。

・・・・・・

 突拍子もないこと、と思われるかもしれません。あるいは、近年「ワンネス」という言葉が流行って、あなたも耳にされているかもしれません。
 当時、私はその体験をどう呼んでいいかわからず、友人・知人、書籍に答えを求め、いちばんしっくりきた言葉が「覚醒」でした。

 このときのミラクルや、気づきについて、何回かに分けて書いていこうと思います。「”変な人”と思われて、仕事に支障が出るんじゃないだろうか」。そんな懸念から、今まで語ることを避けてきました。

 ただ、「どうしてアートセラピーをやるのか」の根幹はここにあり、やっぱり表現せずには前に進めない。そんな思いから、書いてみようと思います。

 ちょっと不思議な意識の旅に、お付き合いいただけたら嬉しいです。


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