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新自由主義下の世界で真面目をやめたい

真面目をやめたい。

ここ数年、どうしようもなく生きづらさを感じる。一言で言えばしんどい。そのしんどさの原因は自分自身の真面目な性格によるものじゃないかと考えた。

どんなタイプが真面目なのかと言えば、学校では先生に怒られないように過ごし授業は疑問を持たずに受ける。職場では上司に嫌われないようにしながら指示された仕事をそつなくこなす。

僕は先生や上司には嫌われないように過ごし、そういった面では真面目なタイプだったと思う。出る杭として飛び出さずに、他の杭と足並みをそろえて均一に突っ立っていた。

その一方で、10代の頃から好きだった音楽の影響もあり、様々なことに内心では疑問を感じていたし、一人で心の中で抱えていた反骨心みたいなものもあり、輪の中で笑って過ごすことも苦手だった。ある意味、一番やっかいなタイプなのかもしれない。

真面目というのは前時代に重宝されたものであって、いわゆる新自由主義以降の世界において真面目というのはあまり適していない。はっきり言えば足枷になる。

そもそも「真面目か!」というツッコミが成立している時点で気づくべきだったのだ。真面目はすでに時代とズレており、笑われる対象の一つなのだと。

真面目な人にとって、指示されたことを要領良くこなせばいい時代は過ごしやすかった。だが、今の世の中は別物となった。それだけでは生きていけない。ドラゴンクエストでいうと常に「ガンガンいこうぜ」でないと行き詰まってしまう。

特に僕のようなフリーランスという立場にとってはそれは必須のスキル、むしろ最低限のスキルであって、それが出来なければごはんも食べられないんだろう(そもそもスキルとかいう言い方が好きではない)

僕は困らずにごはんを食べるためにも「ガンガンいこうぜ」であるべきなのだ。だが、本来の僕は「エビシンガナビーオーラーイ」とか口ずさみながらのんびりと生きていたい。ただそれだと行き詰まる。堂々巡り。

広告やSNSはいつも僕の心を焦せらせる。
もっと「ガンガンいこうぜ」と。

それなのに未だに心の中で「ガンガンいこうぜ」に対する羞恥心を感じている。ずっと好きだったジョーストラマーや甲本ヒロトなど僕のヒーロー達の思想に反している気がして恥ずかしくなる。

あぁ、新自由主義。僕が僕のままで生きていける道は無いものか。こういった文面をnoteという場に書いていること自体が場違いに感じてきた。

とか言ってること自体が真面目か。

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