ストリップ劇場体験記・〈性なるもの〉と〈ヌミノーゼ〉
入場
午後六時。大学の講義が終わると、爛れた欲望に身を包んだ男子大学生三人が、有り余る肉欲の気を外部に吐き出しながら街頭を歩き出した。その一人が僕だった。「実は女性の乳房をはじめて見るんだよ」「母親は?」「記憶にないから」……。
僕らは大学近くでレンタサイクルを借り、劇場近くまで数キロ漕いだ。会話はない。誰もが己の欲望を制御するのに必死で、そこにうわべの会話を貼り付ける余裕はなかった。煌びやかなビル群を抜け、渋谷とは思えぬ貧相な路地裏で自転車を返却する。そこから劇場までは徒歩。いわゆるラブホ街を歩く。胸が跳ね続けていた。
店先では本日の出演者を掲げるポスターの横で中年男性が煙草を噴かしており、中を覗くと、ここにもまた大量の中年男性が、缶ビール片手に駄弁りあっていた。まことに入りづらい。しかし我々は既にメフィストフェレスに魂を捧げた身、ここで踵を返すという選択肢はない、トラ、トラ、トラ! 「あの、学生一枚で……」
観劇
店内の階段を降りると劇場へと繋がる。劇場内の舞台には、客の方向へ伸びる花道があり、その先端は円形になっていた。その円形の舞台を客席が囲んでいる。我々は前から三列めの、ちょうど中央に陣取った。劇場内を見渡すと、二十代だろうという女性客数名を除けば、残りはことごとく中年男性で、若者客は僕らだけだった。
そのうち劇場内が暗転して、轟音を伴って音楽が流れ始めた。すると周りの客が音楽に合わせて手拍子を始める。すかさず僕らも手を叩く。舞台を照らし始めた四方八方からのスポットライトが、いつのまにか登壇していた踊り子を捉えた。踊り子は煽情的な赤色のボディストッキングに身を包んでいる。目を凝らすと、遠目からでも乳輪が見えた。交際経験すらない僕にとってその乳輪はあまりに眩しく、多彩なスポットライトに照らされたせいもあろうが、その乳房は金色に思われた。
異様な熱狂が押し寄せる。拍手に次ぐ拍手。客席の期待を一身に受けた踊り子は、やがておもむろに花道へと足を伸ばす。魅せることに特化したその滑らかな動きは、アニメーションを観ながら動きの骨格を補完しているときのように、一挙手一投足が残像として脳内にこべりつく。踊り子が近づく。目が離せない。踊り子が花道先端の円形の舞台まで来たところで、彼女はそこに寝転がった。すると、その舞台は回転しながら迫り上がっていった。固唾を飲む。いよいよ……。
生命の根源たる恥部の発見
踊り子は背中のファスナーを下ろして、その乳房を露わにした。段階的に脱衣していくらしく、第一段階としてボディストッキングを腰のあたりまで下ろしたようだ。ここで僕は緊急事態を迎える。踊り子が円形台まで来たところで、ちょうど前方の客の頭に遮られて踊り子が隠れてしまったのだ。必死に左右から覗くも、やわらかく揺れる墨色の陰毛は確認できるが、恥部の構造が微妙に掴めない。
踊り子は悠揚にポーズを変え、ときには体操選手もかくやと思われる大胆な体位で観客を沸かせた。そしていよいよボディストッキングを脱ぎ捨てて素裸となる。繰り広げられる大胆なポーズ。興奮に額を濡らしていると、踊り子は人差し指と中指でもって、自らの恥部を引き伸ばして見せた。観客が身を乗り出す。「ああっ」──淡紅色に染まった彼女の恥部が、その内部を僕らに晒す。各方位からのライトに照らされたそれは、白にも紫にも見えた。それが本当に肉体の内側に存在することを思わせる、血管のような葡萄色の筋。その美しい淡色の周りを取り囲む、一段と濃い肌色をした厚い唇…… その全てが目新しく、気づけば僕は極めてプリミティブな感動に包まれていた。それは生命そのものに思えた。
退場
計五人の踊りを観て、僕らは店を出た。気づけば十一時になっていた。五人の踊りはそれぞれまったく違った方向性を持ち、彼女らが真剣にステージの構想を練っているのが伝わってきた。一人めは前述したボディストッキングの女性(今思うと、僕らは一足遅く入場していたのかもしれない。他の四人は、あのような露出度の高い衣装に身を包む前に、コンセプトに合ったコスプレ衣装を着ていた)で、二人めは椎名林檎の曲をかけたナース姿の女性(ハーフ顔だった)。三人めはだらしなく緩んだ腹部と少し垂れ気味の豊満な乳房を持った女性で、僕は彼女を誰よりも気に入った。初登場時はアイドル風のワンピースに身を包み、二度めのライブには(一連の踊りを終えるとチップ受け渡しを含めたライブとファンとの交流会が行われる)『日本全国酒飲み音頭』を流しながら「酒が飲めるぞ」シャツでやってきた(これが良い)。生命力を感じる豊満な体型も好みだったし、何よりも笑顔が素敵で、娘を見るような気持ちになった。四人めは芸術肌の演出で、命の誕生を隠喩的に表現しており、五人めは超人的なフラフープ演技を見せてくれた。飽きることなど片時としてなかった。その前日に鑑賞した『ドライブ・マイ・カー』が一八〇分近く(ちょうどストリップ劇場の滞在時間と同じ程度である)の上映時間だったが、あの傑作に匹敵するほどの時間感覚であった。そして僕らは満ち足りた表情で山手線のホームへと歩いていったのだった……。
老人
左奥の客席に、老人がひとり座っていた。終劇も近づいたころ、五人めの女性のフラフープ演技で客席が沸くと、俯いていた老人の首はゆったりと上がる、しかしすぐにまた伏した。踊りが終わるころには、この老人は完全に眠りについていた。私は踊り子の怪演に熱狂しつつも、目の片隅でこの老人を追わずにはいられなかった。この老人は、どうして劇場に来たのだろうか。やはり年甲斐もなく女性の裸を見たかったのか。その魂の昂揚がありながら、肉体の衰弱に逆らえず眠りに落ちてしまって、「おじいちゃん、起きて」と息子ほどの年齢のスタッフに身を揺すられるのを思うと、なんという、なんという、僕は友人に言わずにはいられなかった、「文学って、こうだよ」と…………
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