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”「遠(エン)」に対する憧れ”を抱いて生まれた私たち

今日で息子が7ヶ月を迎えます。

現在、ずり這い真っ盛りです。

(後追いも激しさを増しつつあります…)

そのずり這いにしても、最初はトカゲのようなねじり主体の動きでしたが、最近はそれに、鳥が羽ばたくような前後の動きが入ってくるようになりました。

言ってみれば、水泳のバタフライのような、よりダイナミックな動きです。

それを見ながら、やっぱり動物の進化過程をたどりながら運動を習得しているんだな、と、ふむふむ納得していた私。

しかし、ここ数日のうちに、息子の”立っち”衝動が強く現れておりまして、つい先日、つかまり立ちをしてしまいました!

ありゃりゃ!(ちょいと早いんじゃない?)

本来なら、

クラゲ→魚→トカゲ→鳥→チーター→猿→人間

の動きのプロセスをたどるはずなのになぁと。

だから、”鳥”のあとは、四つん這いを、それこそ”チーター”のごとく、高速で走れるくらいまでやって欲しいんだけれどな、と勝手なことを思っている母です...

でも、もがきながらもソファにしがみついて、やっとの思いで脚を踏ん張って一人で立ち上がった時の、息子の”どやー!”な顔を見ていたら…

ある本の一節が私の頭に思い浮かんできました。

”直立を産むのは、ですから、狙う衝動ではなく、あくまで遠くを眺めようとする衝動です。この「遠(エン)」に対する強烈な憧れーこれこそ人間だけのものです。宇宙の彼方に、果てしなく旅を続けてゆく、あの世界です。いってみれば、私ども星一つ眺めてる時でも、そこでは、じつは何千・何万光年の「時空の遠」を見ている、ということになる...。”ー三木成夫『内臓とこころ』

人類に直立をもたらしたのは、「眺望」の促迫であるという話。遠くから獲物を”狙う”猛禽類や野生動物たちとは異なる、純粋な「遠(エン)」への憧れ。

動物から人間へと進化するプロセス、三百年とも、四百年ともいわれている、長い歳月を持つ底力のようなものが、あの最初の”立ち上がりたい”という衝動に込められている、のかもしれない。

三木先生は、それを、動物から人間への第一歩、「心の目ざめ」の決定的なサインである、とされています。


自分の息子も7ヶ月にして、それを発露させつつある。

母として、感慨深い思いでいっぱいになります。


そして、実は自分の身体の中には、地球上、あるいは宇宙以来の膨大の歴史の全てが刻み込まれているのだということ、

その壮大な流れの中にあって、今ここを生きている”私”がいる、というまぎれもない事実に直面するのです。


自分の中に宿っている無数の可能性の種を、日々芽吹かせながら成長している息子の姿を見ながら、

私も自分の心と身体、意識やエネルギー、自分という存在が宿している可能性の扉を全て開いてみたくなる、そんな衝動に駆られます。

これはもう、自分の研究家気質ゆえの欲望なのだとは思いますが、そのベースとなっているのは、人類の誰もが抱いている、飽くなき「 遠(エン)」への憧れなのだと思うのです。

そのために占星術を活用したり、その他の占術を参照してみたり、心理学やコーチングを勉強してみたり、と、自分の可能性スイッチを押す材料をいろいろと探求してみている私。

それらを、一つのセッションの形として、磨き上げている真っ最中にあります。

まだ今は荒削りではありますが、モニターさんからはすでにお喜びいただいている声も多数頂いています。ありがたいことです。

息子と同様、一足飛びでステップを飛ばしてしまわずに、今は一緒に地道に”四つん這い”をする時期なのかもしれませんが、ここで培った力が後の、より安定感のある”直立”につながることは間違いありません。

近日公開予定の、自分の可能性探求の旅、みなさんにもぜひご一緒いただけましたら嬉しいです。

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