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Chatouのブロカント、エゴのこと

友人に招待券を頂いたので、フランスの中でも大きな蚤の市であるChatou(シャトゥー)のブロカントへ。
春と秋に開催される蚤の市なのだけれど、フランス中からよりすぐりの出店者が揃うイベント。
RER A線 の Rueil Malmaison 駅(それからChatou-Croissy 駅からも)無料のナベット(送迎バス)がある。
歩いても10分強で行けるのだけど、小さな機関車型のバスが可愛いのでつい乗ってしまう。

まずはお気に入りの出店者さんがいるのでそこに直行。
ここは商品が綺麗だし(他のお店は洗わずに出店していたり欠けたままだったりもする)、お店の方は素朴でチャーミングだし、そしてなにより安い。
私は今までここで緑色の保存ガラス瓶とか、昔の蜜蝋で封をするタイプのジャム瓶とか、ココット皿とかフライ返しとか、いろんな生活雑貨を買っている。
今回もここで大皿を二枚と小さなコーヒーカップ3客、お醤油皿にしたくて小さな耳のついた白い皿4枚。これで全部で25€。
他のお店で、ケーキを取り分ける銀食器のナイフや切子のガラスの美しい器、スプーン大・小8本ずつ、これが全部で15€。
あまり物は増やしたくないのだけれど、生活に足りないものだったので買えて満足。

ここではジャンボン祭りと言って南仏の名産の豚の塩漬け肉やドライソーセージを食べたりお土産にしたりもできる。
友人と、大きな骨付き豚肉と、生ハムやソーセージの盛り合わせを頼んでシェアして食べた。

仲良くなりたいなと思ったひとを、この頃は行きたい場所に誘ってみることにしている。
今までは劇場も美術館もひとりで行くことが多かったのだけれど(自分の趣味に付き合わせるような気がして悪いなと思うのと、ひとりでじっくり作品と向き合うことがしたかったから)、引きこもるか一人で行動するかで全く友達ができないじゃないか!ということになって、ちゃんと友達を誘おう。そしていろんな話をして仲良くなろう。ということにしたのでした。

今まで私は誘われることが多くて(受け身な性質だから)、自分から誘うことがほとんどなかった。
別にひとが嫌いなわけではないけれど、ひとりで遊ぶことがわりと好きだし、自分の時間が持てない人生を送ってきたので少しでも時間があるとひとりでその時間を味わおうとしてしまう。
周りに誰かがいると、自分よりそのひとの存在が気になって集中できない。
自分のからだが、いつも周りにいる人間に対して神経を開いてしまうから、自分のことはそっちのけにしなくてはならなくなる。
加えて私は趣味の範囲が狭くて偏っているので、なかなか同じ時間を共有できるひとがいない気がしている、というそういう理由で。

けれど一生閉じこもって、ひとりきりで過ごしたいわけではないのだから、友達のことを発見しなければいけないよな、と思い始めている。
あ、なんだかこう書くとまるでエゴイストみたいだけど、私はエゴイストなんだよなと思う。
周りのことを気にしないエゴイストよりももっとエゴが強いと思う。
周りのことを気にすることすら、自分のためなのかもしれないもの。
もちろんそんなつもりはなくて、友達のこと好きなんだけど…。内気なだけなのです。
まあ、この内気さとか受け身な性質は、エゴから来ているのだろうな。
友達や、接するひとを大事に思っているしいつも楽しくいてほしいけど、同時に私はエゴイストなんだわ。

このごろ胸がもやもやすることが多い。
怒っているのか、傷ついているのか、その両方なのか、強くなったのにそれは強くものごとを感じるようになったということで、打たれて響くその響きも強烈だ。
やらなければならないことがあるのに、心が納得しないのか、なかなか取り掛かることができない。
大事なことだと思っているはずなのに、でも私はもっと生きることに必死なこの場面で、なぜひとのことばかりやっているんだろう?誰にも知られることもないのに、自分の時間をフルにそれに費やして、じゃあ自分の人生は一体どうなるんだろう?
私がなんとかその舞台を成り立たせたことに、私以外は気づいていない、そのことを、もうこれ以上続けられない。

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