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なにかが間違っていると感じた日

「ありがとね」と言われて素直に喜べないこともある。

少し前、スーパーマーケットに行こうと思って家の近くをてけてけと歩いていたら、車道から鋭いクラクションが聞こえた。足もとに視線を落として歩いていたわたしは、なにごとかと顔をあげた。

80代くらいだろうか、高齢の女性が車道の真ん中で立ち尽くしていた。横断歩道のないところを突っきって渡ろうとして、車にクラクションを鳴らされたようだった。

女性は驚きで足が固まってしまったらしく、車道に立ったままだ。進路をふさがれた車がもう一度クラクションを鳴らす。

わたしはあわてて車道に出、女性といっしょに歩道に引き返した。女性は「あ……あ……びっくりした」とかすれ声でつぶやいた。

歩道に引っこみ、車が行き過ぎたのを確認してから、わたしは思わず「危ないですよー、横断歩道わたりましょう?」と注意してしまった。お年寄りにそんなふうに話すことなんて、ふだんはないのに。

女性は買い物用(?)のカートを押しながらわたしを振り返り、「ありがとね。まあ死んでもべつに困らんのやけど」と言った。そして、ゆっくりゆっくり、歩いていった。

今度はわたしが固まる番だった。お年を召したおばあちゃんが「死んでも困らん」なんて言うのは聞きたくなかった。

社会にある問題のあれやこれやについて、わたしにだって思うところはあるし、考えこんでしまうことも多い。でも、noteには書かないようにしている。ここは穏やかに日々の出来事を綴る場にしたい。

なのに、このあいだの場面をなん度も思い出す。

「お年寄りも若い人もみんながいきいき暮らせる社会を!」とか、選挙ポスターのキャッチコピーみたいなことが言いたいわけじゃない。そこに実効性があまりないことを、わたしたちはよく知っている。

それでもやっぱり「なんか間違ってる」と感じてしまった。どこが間違っているのか、なにをすれば「間違っていない」ことになるのかは人によって意見がわかれると思う。そもそも、間違っているとかいないとかいう問題ではないのかもしれない。

ただ、「おばあちゃんにあんなこと言わせたくないなあ」と思ったことは忘れたくない。

道を歩いているだけでいろいろと考えごとのタネが降ってくるのだから、日常はけっこう問題に満ちている。

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