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ただいま、まねっこ道をばく進中
最近、外食するたびにお料理の盛りつけをジーッと見てしまう。どのお店のメニューも、オリジナリティを感じさせつつお皿に美しく盛りつけられていて、はっとさせられる。
なぜこんなにもよその、しかもプロの盛りつけが気になるかと言うと、自分の盛りつけセンスに絶望しているからだ。
わたしは、美的センスのあるほうではない。幼い頃から美術の成績は良くなかった。社会見学で見た牛の絵を描いたのに、先生に「これは……、ラクダかな? 動物園で見た?」と聞かれたことがある。
おまけに、お料理をするようになったのも娘たち(6歳)を産んでからだ。双子を抱えて外食するのが途方もなく大変に感じられたこと、離乳食は自分でつくってみたいと思ったことから、家庭料理に手を出した。
お料理スタートから約7年、レパートリーが少しは増えた。ブリの照り焼きだってつくれる(味の保証はしない)。
ただ、いっこうにおいしそうに盛りつけられない。せっかくつくったお料理たちが珍妙に並ぶ様子に、毎度げんなりしている。
このあいだの娘たちの夕食がこちらである。
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変な献立には目をおつぶりくださいまし。
鮭のムニエル(半切れ)に胡瓜とツナのマヨネーズ和え、プチトマト。これに別皿でコールスローサラダをつけ、お味噌汁、白いごはんといっしょに出す。
おかずを一皿にまとめてしまいたかった。それにしても、なぜそんなにも鮭は投げやりにぶつ切られているのだろう。胡瓜がまったくおいしそうに見えなくて泣けてくる。トマトに至っては、なぜ三角形に並べられているのだろう。お供えなのか。
以前、友人のお宅に遊びに行ったら、美しく盛りつけられたお料理がたくさん出てきて絶句したことがある。お皿たちのあまりの素敵さに言葉を失ったのだ。かざり葉の類も絶妙なバランスでちりばめられていて、食べるのがもったいないくらいだった。
あのレベルの盛りつけを実現するのは難しいにしても、ちょっとはこじゃれた雰囲気を出せないものか。そういえば彼女は言っていた、「さいしょは真似よ、真似」。
わたしも文章を書きはじめた頃はひとさまの文をなぞっていた気がする。武道のお稽古に通っていた頃だって、師範の型をひたすら真似ていた。おかげで、西日本大会ジュニアの部でいいところまで行った。
真似の力は絶大だ。とくにわたしのような凡人が前に進むためには、まずは真似る力がものを言う。
友人のようなセミ玄人テーブルコーディネートは無理でも、ちょっとはおいしそうなお皿に仕上げたい。そう思って、このあいだから食の偉人たちのお料理をしょっちゅう眺めては、ちょっとだけ真似してみている。まだまだ成果は見られないけれど。
「ビバ、まねっこ!」と呟いたら、夫が怪訝そうに顔をあげた。
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