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由緒あるごろつきに出会う

犬派か、猫派か。

ペットに関する話題ではかならずと言っていいほど出てくる問いかけである。犬と猫のどちらが好きかというものだ。「わたしが犬派か猫派か、知ってどうすんの?」と聞き返したくなるシチュエーションで飛び出すことも多い。それくらい、当たり障りのない質問なのだろう。

知りたい人がいるかどうかはさておき、わたしは犬派だ。おととし亡くなったチワワのカンちゃんとの思い出をいまだに胸に抱えて過ごしている。

けれど、もともとは猫も好きだった。サブローに会うまでは。

田舎の祖母が飼っていたサブローは、猫に詳しくないわたしには種類がわからない、これといった特徴のない雑種ふうの猫だった。なぜサブローという名なのかも知らない。

ただ、サブローはものすごく目つきが悪かった。首を低く下げ、目をすがめるようにしてものを見る。歩き方もなんとなくふてぶてしい。

その様子には「ごろつき」という言葉がぴったりだった。猫のくせにと言ったら猫好きの方に怒られるだろうけれど、まるで人間かと思うほど古式ゆかしいやくざな感じが漂っていた。

小学生の頃、そのサブローにひっかかれて以来、わたしは猫が苦手になった。たぶん、サブローのほうもわたしが嫌いだったのだろうと思っている。

さて、今年の春頃から、サブローを思わせる茶色い猫が我が家のまわりをうろつくようになった。監視カメラのモニター内をなにかの影がすばやく横切ったと思ったら、だいたいその茶猫だ。

このあいだ、生活ゴミを捨てようと朝早くに玄関ポーチに出たとき、はじめて茶猫と対面した。

どれくらいが猫の標準的な体型なのかについてはよく知らない。しかし、茶猫は大きめでややぼってりした体格に見えた。目つきも悪い。わたしを見ても逃げず、むしろ「あん? なんか文句あんのか?」と言いたげな顔をしている。

サブローだ!

この由緒あるごろつき感、サブロー2号と名づけよう。

それからというもの、ちょこちょこサブロー2号に出くわす。先日は我が家の花壇を荒らしていたようだ。糞をしていたこともある。ぬぬぬ、サブロー2号め。

サブローは、昔のわたしからすると敵みたいな存在だった。お互いに嫌いあって、疎ましがって、わたしたちのそりはまったく合わなかった。

それなのに、今のわたしくらい大人になると、敵ができにくくなる。世の中をすすすっと泳いでいく術を覚え、それこそ雑談のときには「○○さんって猫派ですか? 犬派ですか?」とか言って場をつなげてしまう。誰かとあからさまに敵対することなんてほとんどない。

そのぶん、新しく会う方と濃密な関係を築ける機会も減った。みんなほどほどの距離を保ち、ほどほどに友好的で、ほどほどに冷たい。

サブロー2号はわたしにとって久しぶりの敵だ。我が家に悪さしたらただじゃおかんからね、と息巻いている。

でも、「ぬぬぬ、サブロー2号め」と思うとき、ちょっと懐かしくなる。あの由緒あるごろつきは、好きと嫌いの色がとても濃かった昔を思い出させるなあ、と思うのだ。

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