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炒めものの調べ

自分と異なる言語センスを持つ人との交流は、とても尊い。

このあいだ、妹家族が遊びに来てくれていた。一つ年下の妹とは、かなり仲のいいほうだと思う。毎日、LINEもしているし、ふたりでお茶やアフタヌーンティーにも行く。たまたま子ども同士も同い年なので、家族ぐるみで付き合っている。

そんな「おばちゃん」が大好きなうちの長女は、よく彼女に自分のピアノ演奏を聴いてほしがる。

今回は、弾けるようになったばかりの『チョップスティックス』を楽譜から選んで、妹をピアノの前に連れて行く。主旋律が和音になっているため最初は弾くのに戸惑っていたけれど、晴れてマスターしたのだ。

「先生から『速く弾いてみて』って言われてるから、ちょっと聴いててね!」

ちょこんと椅子に座った長女は、かなりのスピードで弾き進めていく。聴いているほうが弾んでしまうような、テンポのよさに妹はびっくりしていた。以前、彼女が聴いた長女の演奏は、もっと幼児っぽいものだったからだ。

弾き終えた長女に、妹が拍手しながら言う。

「すごいねー、速いねー! 炒めものみたいな曲やね!」

炒めもの?! ここはわたしが食いつく番だ。

「炒めもの? どういうこと?」
「うん、なんかさ、フライパンのなかで常に菜箸さいばしを動かしてるような曲やな、と思って」

ああ、なんだかわかる、と思ってしまうのは、姉妹ゆえだろうか。『チョップスティックス』という曲名は、演奏時の指の動きから来ているそうだ。しかし、妹は、アップテンポな長女の演奏そのものから、せわしない菜箸の動きを連想したらしい。

「ああ、中華鍋で炒めるやつよね。たしかにこの曲、煮物ではないよね!」

わたしはちょっと楽しくなった。自分では思いつかないたとえに出会えるのは一種の喜びだ。そういう表現があるのかと目を見開く瞬間の嬉しさといったら、ない。

妹とわたしは年子で仲がいいものの、思考のバックグラウンドはまったく違う。ド理系とド文系という違いのみならず、趣味が重なる部分もほとんどない。読んできた本の系統もかけ離れている。

似ていないわたしたちが語らうからこそ、化学反応が起きることも少なくない。実際に、『チョップスティックス』は炒めもの的楽曲へと変化した。

自分と似た人とばかりいては見つけられないものがある。炒めものの調べを聴きながら、心がわくわくするのを抑えきれなかった。人付き合いの醍醐味、ここにあり。

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