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サビてもいいとこ、あかんとこ

用事で街中に出ていた。ついでに、百貨店もぶらぶらとまわった。ふだんは郊外の町でひっそり地味に暮らしていて、大阪のオフィス街近くに行くのは月にニ度ほど。

いつもより少しだけおしゃれをして、背筋を伸ばして歩く。雨上がりで足元がレインパンプスだったのがちょっと残念。でも、総じていい気分転換の一日だった。

わたしはいつも御堂筋線で移動する。大阪といえば、のあの赤いラインの地下鉄である。

途中、なんば駅のホームで「うっ」と顔をしかめそうになった。

電車がホームを出ていくその轟音に、びっくりしてしまったのだ。大阪生まれ大阪育ちで、小学生の時分から電車通学していたわたしなのに、今さら「おおお、すごい音……!」と息が止まりそうなほど驚いた。

また、梅田の地下街を歩いていたとき、人ごみをすり抜けて歩くのが昔より下手くそになっているのにも気づいた。誰もが競い合うように早足で、しかしお互いにぶつからずに歩いている。あんなに上手にどうやって歩けるんだろう、と首を傾げてしまった。

会社員時代は東京でも暮らしたし、大阪では中心部で働いていた。それなのに、のんびりした町にひっこんで以来、少しずつ都会の生き物としての勘がびつつあるみたいだ。いや、都会で生まれたわけではないので「都会になじむよう磨いた勘」と言うべきか。

とにかく、都会のあれこれから感覚が遠ざかっている。

都会で働くことから離れて7年以上。そのあいだに双子の娘たちが生まれた。子を育てる喜びを知った一方で、いつのまにか鈍っていた感覚もあったらしい。年月が経つとどうしても、失ったものと得たものが浮かび上がる。

わたしの形も移ろうんだなあ、とへんに納得してしまった。

まあ、都会で過ごすための勘がちょっとくらい錆びついてしまっても困らないけれど(いや、困るか……?)、錆びついて困るものはたしかにある気がする。

たとえば、のんびりした日々に慣れ、人ごみをうまくすり抜けられなくなっても、娘たちを見守る姿勢とおいしいものを平らげる根性だけは錆びつかせたくない。

びてもいいとこ、あかんとこ。生きていくうえでこの二つを見極めるのはけっこう大事なんじゃないか。時間は有限、どこかでなにかを選び取らなくてはいけないのだから。

料理下手ゆえにハンバーグづくりに苦戦した午後、そんなことを思った。

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