小さな小さな船をつくっていた
このあいだ、娘たちの幼稚園生活で最後のお弁当をつくった。
いつもなら6時から6時半に起床するわたしが、5時半に起きておにぎりをつくりはじめる。
お弁当日は、月に一度。「なーんだ、大したことないじゃないの」と思われそうだけれど、双子の娘たちを産む6年前まで料理の習慣がなかったわたしには大変なことだった。
もちろん、それまでお弁当をつくったこともなかった。
夫とお付き合いをはじめた頃、手づくり弁当を提げて桜の名所に行き、お花見をしたことがある。
しかし、そのお弁当は、妹がつくってくれたものだった。「あの人、絶対にいい人やと思う! 逃がしたらあかんで」とやたら積極的だった妹が、わたしの代わりに朝からおかずをこしらえ、詰めてくれた。姉思いの妹というか、ひたすら情けない姉というか。
当たり前だけれど、幼稚園のお弁当は妹につくってもらうわけにはいかない。わたしにとってはじめてのお弁当づくりがスタートした。
さいしょにつくったおにぎりが冷めるのを待つあいだに卵を焼き、ブロッコリーを茹で、ウインナーをタコさんにする。娘たちのリクエストで、チルド食品のミートボールも少し詰める。
宝石箱のようにうつくしいお弁当づくりを得意とする方にはとてもじゃないが見せられない、簡素なお弁当だ。詰め方もいつまで経っても下手で、おかずたちはお弁当箱の中でぎこちなく肩を寄せあっていた。
でも、そんなお弁当を、娘たちは毎回すべて平らげた。幼稚園へと迎えに行くと、わたしに飛びついてきて「お弁当おいしかったよおおー!」と言ってくれた。キャラ弁でもない、見ばえのよくないお弁当なのにね。
娘たちはお弁当日に幼稚園を休んだことがない。わたしは3年間、欠かさずお弁当をつくるというミッションを達成したことになる。
「はー、やったわ!」。どこまで行ってもわたしはへなちょこお弁当のつくり手ではある。それでもやっぱり嬉しい。
幼稚園最後のお弁当だというのに、写真に残すのを忘れてしまった。まあいいか。いつもと変わらない、地味なお弁当だった。
娘たちが食べてくれるときの顔を思い浮かべながらお弁当をつくる時間。娘たちにそれを手渡す瞬間。食べ終えた娘たちの笑顔。お弁当にまつわるあれこれはたぶん忘れないと思う。
お弁当生活をほんの少しだけ経験してみた今のわたしは、誰かのためにお弁当をつくるすべての人を尊敬している。みんな、すごい。
今日もどこかで誰かがお弁当を食べているのだと思うと、幸せなような、行き場のない労いの念がわくような、不思議な気分になる。
きっとお弁当は、お腹だけを満たすものではないんだろう。栄養といっしょに愛を積みこんだ、小さな小さな船。わたしは毎月、けっこういいものをつくらせてもらっていたみたいだ。
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