言い方はさておき

私はよく友人に呆れられる。暴言というか、失礼なものの言い方に対して、またはそれをする人に対して、反応が鈍いからだ。

「あんな言い方をされて怒らないなんて」とか、親友たちが代わりにプンプンしてくれることも。

私だって、失礼なことを言われたらムッとする。そそそそそんな言い方しなくても、と傷つくことだってある。

しかし、実際のところ、私はいわゆる「トロい」タイプで、その手の発言にすぐさまリアクションできない。

「うーん」「えっと」と、言葉を選んでいるあいだに話が次のことに移ってしまう。たいていの場合、発言の主は深い考えから失礼なことを言っているわけではない(らしい)から、話題の移ろいも早い。

ここで、トロいなりに、言い訳をひとつ。

ものの言いようがまずくても、内容は一考に値する。そんな場合もある。あるいは、照れから乱暴な言い方をしてしまうけれど、あたたかな本心を隠し持った人もいる。そんな「ほんとうのところ」を探りたい気持ちもあるのだ。

親戚に、口の悪いおじさんがいる。もうすっかりおじいさんだ。両親の郷里にいる人で、とにかくものの言い方がひどい。

人の容姿をけなすし、何かを褒めることもない。私も「あんたはかわいげがないのう」と言われたことがある。はっきり言って傷ついた。

小学生の頃、おじさんの涙を見たことがある。おじさんの家で飼っていた犬がなぜか嘔吐したときだ。「苦しいのう、苦しいのう、かわいそうに」と言いながら、おじさんは泣いていた。みんなに背を向け、庭のすみっこで泣いていた。

犬がなぜ吐いていたのか、その後どうなったかはよく覚えていない。おじさんの涙だけが記憶に残っている。

悪舌か、優しい涙か。おじさんの正体がどちらなのかは私にはわからない。ただ、あの涙はおじさんのもうひとつの姿を教えてくれた。

いろいろな人と交流すると「なんちゅう言い方するのよ、プンプン」と腹の立つこともある。そういうときは、プンプンの合間におじさんの涙を思い出す。

自分が発信者になるときは、表現に細心の注意を払いたいと思う。不用意に人を傷つけるのは避けたい。それでも誤解を招くことがあるから、難しい。「なにごとも言い方ひとつ」なんてよく聞くものの、それが難しいんだよーと、もどかしさでいっぱいだ。

けれど、受け取り手になるときは、相手の「言い方」だけに意識を持っていかれないようにしたいと思っている。

もしかしたら相手のひどい言い方の裏に、優しさや素敵な真理が隠れていることがあるかもしれない。それを知ろうとせずにプンプンするのはもったいない気がしてしまう。傷つけられて黙っている必要はまったくないけれど、言い方にこだわりすぎるのも損をしそうで。

結局、臆病さと貧乏性のしわざらしい。

そんなこんなで「シャキッとしなさいよ」と思われるだろうとわかっていながらも、毅然とできないのです。

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