イエローベージュは自由と責任の色
ゴールデンウィークのはざま、今日の大阪はとてもよく晴れている。あまりに気分がよくて、午前中はファミレスに吸いこまれた。レアチーズケーキで、朝のコーヒータイム。なんてしあわせ。
さて。
髪をカラーリングするようになって、もう20年ほどになる。大学生になってすぐ、初めてのアルバイト代をお財布に大切にしまい、美容院でイエローベージュに染めてもらった。それ以来、私の髪は地毛より明るいベージュ系の色を保っている。
小学校から高校まで、校則の厳しいミッションスクールに通っていた。スカートの丈は膝下5cm、肩につく長さの髪は必ず結ぶこと。もちろん男女交際は禁止。そんなガチガチのルールが私たちを縛っていたのだ。
中学生くらいまでは、校則に従っていた。でも、高校生になるとそうもいかなくなる。
だって、当時は三島由紀夫の『不道徳教育講座』にはまっていたのだから。校則に従順だなんて、なんだかダサい。反抗心がむくむくと頭をもたげた時期だった。
高校2年生のとき、スプレー式のブリーチ剤を購入した。おそるおそる使ってみると、髪色が少し明るくなった。「わぉ、いい感じかも?!」調子に乗り始めた。
いつのまにか髪の毛はけっこうな明るさになり、生活指導のシスターに呼び出されてしまった。そこへ担任の先生が救いの手を差しのべてくれた。
「まあええやないですか、こういう時期もありますよ」
結局、反省室に入れられることもなかった。ことは担任の先生の裁量下で処理されたらしい。
受験勉強が佳境に入る頃、ささやかな反抗期も終わりを迎えた。成績の振るわない生徒だった私は、髪の毛をブリーチして遊ぶ余裕を失ってしまったのだ。
やっと理解した。反抗だと思っていたもろもろの行動は、責任を引き受けてくれる大人たちがいたからなしえたものだった。思春期の無力感とはこれか、と。
大学生になり、美容師さんに染めてもらったイエローベージュの髪。反抗心から自分で色を抜いた髪よりもずっと洗練されて見えた。代金も、アルバイト代で払った。初めて自分で働いて得たお金。それを手にするまでに悔しい思いだって経験した。
そのとき私はやっと、大人の世界の入口に立った。大人になるとは、いろいろな人のあいだにいる自分の存在を認識することだ。ひとりで世界が成立しているなんて、大間違い。
あんなに厳しい校則に縛られる生活は、二度とごめんだ。でも、あの生活から、人にまじって生きるなかでの自由には責任がともなうことを学んだ。
大人になれば、平日にふらりと予定変更してファミレスで朝お茶するのもわりとかんたんだ。髪の色だって、たいていの場合、思うがまま。
そこには、あらゆる行動の責任は自分で取るルールがある。つまり、午後にはしゃかりきになって仕事をこなさなければならない。髪の色を理由に後ろ指さされないような言動の主でいることだって、大切だ。
そういえば、高校を卒業するとき、現代国語の先生がアルバムにコメントを書いてくれた。
「祝・出所!!」
やっぱり刑務所のような学校だと思っていたのか、先生も。思わずにやりとしてしまった。
コーヒーを飲みながら「娘たちが髪を染めたいと言ったらなんて答えようかなぁ」と考える。ママが髪を染めた日の話をしようか、それとも……。
イエローベージュは、自由と責任の色。そして、レアチーズケーキ、美味しかった。むふふ。
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