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物語の役割

 今年に入ってまだ1ヵ月だけれど、歯が抜けてること以外、身体に不調がない。思えば昨年は、運送会社のクール便を仕分ける仕事で冷蔵庫と外を出たり入ったりしていたので、その温度差で身体に負担をかけてしまっていた。今年は転職したので、思いっきり執筆に専念したい。

  さて、今回は前にも扱ったことがあるような気がするけど、フィクション(物語)の話。

 あれは2020年のこと、僕が昔勤めていた会社の女性が自殺をした。僕も会社を辞めたとはいえそれなりに付き合いのあった社員なので葬儀に参加したのだが、会社の幹部の1人であるKさんは通夜にも葬式にも来なかった。後日その理由を尋ねると、「せっかくの命を自分から捨てる人間の葬儀には行こうと思わないね」という答えが返ってきた。

 Kさんの言っていることはなかなか筋が通っているとは思うのだが、僕はなんというか、人が1人自殺しても自分のポリシーを変えようとしないKさんに複雑な思いを抱いた。

  ここで話が少し飛躍するが、小説家というのは「小人の説」という意味だ。小説の仕事として、弱い人間や時代に忘れ去られた人間を書くという役割があるように思う。

 一方、英語で言われる「ノベル」だが、これはNova(新星)から来ている。フィクションとは新しい価値観を提示するもの、という意味があるのかもしれない。

 いぜれにせよ、フィクションは大きな歴史や一般的な常識に乗れない人のためにあるというのが僕の意識だ。強い人には、フィクションは必要ない。自分が持っているポリシーを疑問もなく通すことができるからだ。

  話は変わるが、落語には「与太郎」という人物がよく出てくる。与太郎は頭があまり良くなくて、常識もない。言ってみれば、落語の世界の「弄られキャラ」だ。

 しかしこの与太郎はただの馬鹿ではなくて、無教養ゆえにかえって本質を突くという役割を担うことがある。この与太郎観は、立川談志の落語によく見られるので、気になる人がいたら立川談志の落語を聴いてほしい。

 物語はこのように、成功者や常識人に馴染めない人が世界に反発するための武器なのではないか、そんなことを思ったりする。

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