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母が癌になった④・・・一時退院・・・

退院2日前にようやく介護用ベットや歩行器、手すり付きシャワー椅子など介護用品が揃った。

そしてアマゾンで自宅用ナースコールという呼び出しをしてくれる器具を購入し自分で取り付けた。ボタンは介護ベットの上とトイレに、そして音でお知らせをしてくれる器具は茶の間とダイニングに取り付けた。
これで何かあれば家の中でも病院のようにすぐに駆け付けれる。少しでもお互いに安心したいし、気持ちの負担も少なくて済むと思った。

そして、退院の日。
私と姉が病院に着いた頃は既に母はパジャマから私服に着替え待っていた。
姉が荷物をまとめ、私は1階の会計で6月半ばから7月半ば過ぎまでの病院での支払いを済ませた。1割負担だったので7万円弱だった。

母を車に乗せ自宅に帰った。
母は久しぶりの自宅を不思議そうな感じで廊下を歩き準備された介護用ベットに座り少しぼんやりしていた。
疲れたからベットで寝るからとパジャマに着替えトイレに向かった。
そうしたら自宅用ナースコールの音楽が流れた。
「どうしたの?」と私がトイレにかけつけると母は「どう流すか覚えてない。どうしたらいいの?」と言った。
私は「トイレの横にあるレバーを動かせば流れるよ」と答えた。
母は言われるままにレバーを動かし流すことが出来た。
「すっかりいろんな事を忘れている・・・・。」と母も私も同じことを思っていただろう。
でも、その後は忘れずにできていたようだ。よかった・・・。

トイレは歩行器と手摺を使って今は行けているけれど念のためにパンツ用のおむつをしている。病院でも同じものを履いていたので多めに準備していた。

食事はあまり食べれないようだったが、医者から「好きなものを好きなだけ食べさせてください」と言われていたので、おかゆや煮物、あとは母が好きな果物を準備した。
「全部食べれなくてもいいから。残してもいいからね」と伝えた。

病院で無理をして食べて気持ち悪くなって吐いた時に病院の人(食事の係りの人?)に”きつく𠮟りつけられた”と何度も母は言っていた。
なのでその恐怖で「私食べれないから・・・ごめん。」と何度もいった。
実際、姉が買ってきたお惣菜が食べれず、私が片付けに行ったとき、数か所に分けて隠すように捨ててあった。

私は母が病院で辛い目にあったことを思うととても嫌な気持ちになったし、今回の母が入院していた地方の総合病院はとても評判が悪いことが後から知った。口コミをみても私自身が思ったことと同じ事が書かれていたし、多分そういう病院なんだと思う。
でも、地方に住んでいると数少ない中からしか選択肢がなく、姉は自宅から一番近い(車で15分)のあの総合病院に連れていくしかなかったんだろうと思う。

自宅での母の生活には私は週末しか行けないので殆どは姉に頼ることになる。私は遠くからでもサポートできるように重い買い物はAmazonで購入し直接届くようにしたり、ケアマネージャーさんとの打ち合わせは私が詳細を話し内容を詰めたり、かんぽ生命の保険の手続きも書類などは全部私が手配してA4の透明の袋に入れ、担当者に渡すだけ・・と後方支援を思いつく限りをした。

とにかく、その日から母の自宅での介護生活が始まった・・・。



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