退院2日前にようやく介護用ベットや歩行器、手すり付きシャワー椅子など介護用品が揃った。 そしてアマゾンで自宅用ナースコールという呼び出しをしてくれる器具を購入し自分で取り付けた。ボタンは介護ベットの上とトイレに、そして音でお知らせをしてくれる器具は茶の間とダイニングに取り付けた。 これで何かあれば家の中でも病院のようにすぐに駆け付けれる。少しでもお互いに安心したいし、気持ちの負担も少なくて済むと思った。 そして、退院の日。 私と姉が病院に着いた頃は既に母はパジャマから私服
病院から2度目の電話があった2日後、私は再び母が入院している病院に行った。担当医師、看護師長、ケアマネージャーがテーブルをはさんで座っている。私と姉が初めてきちんとした形で母について話し合う場となった。 私にとって今回の目的は「母の病状を詳しく聞くこと」「母の退院の日を決める事」「姉に冷静に話を聞いてもらい今後について話し合う事」だった。 この話し合いの後には母がずっと以前からお世話になっているケアマネージャーさんとも直接顔をみて色々相談する約束もしていた。(ケアマネージ
母が癌だと病院からの電話で聞き途方に暮れていた。 これからどうすればいいのか・・・? 1人ぼんやりここ数年のことを思い出していた。 私の母は父が4年前に亡くなってから一人暮らしをしている。 父が亡くなる前は介護が大変だったが母は一人で引き受け父の最後を看取った。 1人暮らしになってからは介護から解放されて楽になったと話していた。 私自身は父との関係が良くなかったので母が1人暮らしになってからは今までより実家に行くことが多くなると思っていた。 でもその3ヶ月後、コロナが大流行
6月半ば、地方に住む母が緊急入院した。 呼吸が上手くできなくて「ぜいぜい・・・」して近くに住む姉が病院に連れて行ったら「うっ血性心不全」といわれそのまま入院したと私に電話が入った。 私はすぐに仕事を休み入院中の母の様子を見に新幹線に乗った。 地方の病院は駅からも遠く姉の車で行き、母の病室にたどり着いた。 母は私の顔を見るなり「どうしたの?」といった。 思ったより顔色が良くて少し安心した。 そう、今年91歳になる母は2年前まで東京に住む私の娘(母にとっては孫)に会うために年
ここ最近、青空の日が続いてます。今までなら心軽やかに出かけたり楽しい日々を過ごせた。 でも何故かいま無気力なんです。色んなことをしようと思うけど出来ない。どうしてなんだろう? コロナ禍の中である一年前、半年前はまだ気力があった。テレビではコロナの事を毎日報道していたけど、こんな時だからこそできることをしよう!と日々過ごしてた。 ようやく世の中平和になりつつあるのに私は何も出来ずにいる。 明日どう過ごしていいかもわからない・・・。 #無気力#コロナ禍#日々の過ごし方#
今年のお盆も帰省を諦めた・・・。 やはり田舎の閉鎖性が帰ることを拒んでいると感じたからだ。田舎で暮らす高齢の母親もワクチンを2回うち、私自身も7月半ばにはワクチン接種を終了した。 7月半ばなんとなく自由を手にしたようで(本当は違うのだけど)少し心が軽くなっていた。 しかし、世の中の状況が変わり「静かに帰省する」なんて甘い考えをまた心に封じ込んだ。結局はお盆中都会でも友人に会うこともなく過ぎ去った。外食も飽きて自分の作る料理も飽きてしまっていたけれどそれはどうしようもなか
ちょうど一年前にアメリカ、メキシコを1人旅した。戻ってきたときは既にコロナの騒ぎが始まっていたけど今更ながら無事に旅ができて本当に良かったと思う。 その後の世界は今だ混乱の真っ最中だけども・・・。 そして昨年からオンライン英会話をしている。この旅に出れないもどかしさを勉強の時間なんだと自分に言い聞かせて。 週に2回1時間ずつオンライン英会話をして8ヵ月が過ぎた。緊張はしない。とても楽しい。 でも今の悩みは人知れず自分の英会話の伸び悩みだ。。。 文章にしてもらえばすご
最近友人とあって話していても話が何故か盛り上がらず・・。 なんとなく・・・共感より違いを指摘される。 「私とあなたの立ち位置はちがうから・・・」 コロナ禍で仕事を失った友人や違う部署に異動になった人など。 私自身は相変わらず身動きとれず大した違いない日々を過ごしているからなのか?
毎日の自粛生活で途方にくれたり、自分での制御不能な涙が急にこぼれたり、でも友人の声で励まされたり・・・・出口の見えないトンネルの中で私だけでなく全世界の人々がこの瞬間を過ごしている。 それぞれの立場で守るもの、感じるものは違っても・・・。 今の自分にできることを手探りで過ごす。 少しでも快適に穏やかに家の中で過ごせるように実践していること・・・ 先ずは・・・ ①サブスクで毎週 生のお花を自宅に届けてもらうようにしたコト。 info@medelu.flowers 今
自粛週末3週目。近所のスーパーで買い出しをしたついでに少しだけお散歩。ずっと家にいても身体が固まってしまうから・・・。 でもこんなによい季節なのに心が重いですね。 橋を渡っていたら噴水そして虹🌈🌈🌈 さぁ、おうちに帰ろう・・・。
1階を一通り見学しただけで既に胸がいっぱいな状態になってしまった。 いやはや・・・すっかり夢見心地だ。ふわふわした気分で2階へ向かう。 2階に上がるとリビング。個性的なオブジェたちが点在する空間だがそれでも穏やかで落ち着いた雰囲気がある。 こんな風に一見バラバラな要素のモノたちが個性を放しつつこの空間にとても居心地よくそこにある。なんだか楽しそう。 インテリアを生業としてきたものとして形、色、配置・・・全てが気になる(笑)日本に戻ったら自宅の小物たちのほかに新しい何か
気持ち晴れないまま近所を散歩。。。桜もちらほら咲き始めている。🌸 そんな中、建築家 安藤忠雄設計の「子ども本の森 中之島」コロナ感染の影響で開館できないままになっています。本来なら3月1日にオープンするはずでした。 明日から三連休・・・。お天気も良さそうです。穏やかな日々が少しでも早く訪れますように願います。
目に見えないものに押しつぶされそうな時間の中、人って無力だけど何か希望を感じていたい。 リビングにある山本陽子さんの銅版画を久しぶりにぼんやり見つめています。pie jesu(ピエ イエス)
メキシコシティの密集した住宅街にあるヒラルディ邸。いまも住人が住む空間の一部を開放している。 玄関に入りそして真っすぐ光が溢れる空間に吸い込まれていく。 一体なんなんだろう・・・・・。緻密に計算された反射光と色彩。 この場で立ち止まらない人はいないだろう。 水面にビビットな色彩の面を使い反射光で幻想的な空間を表現している。 これが個人邸とは信じられない。。。。 そう、この室内の空間の一部にプールを配置しトップライトを用い光の当たり具合で光の道筋を作り、赤と青の壁を
ドアを開ると受付などなく玄関先で迷いながら簡単な英語で聞いてみる。(もちろん私はスペイン語を話せません) 私:Should I pay now?(いまお金払った方がいいの?) たぶん住人男子:You can pay later.(あとでいいよ) そうか・・・あとでいいんだ。あっ、でも写真を撮ったら余分にお金かかるって確か何かに書いてあったはず?まぁ、とりあえず写真を撮りたいけどそれも先に聞かないとね。。。 私: Can I take a picture?(写真撮って