この悔しさを成仏させるために書く日記



私はこの日記を、自分の心を前に向かせる方向で締めくくることを決めている。

そのために今日あった出来事と感じたことをゆっくりと整理していく。


今日の出来事


去年の暮れにおばあちゃんが亡くなり初盆ということで、今私はおじいちゃんのお手伝いで田舎に来ている。(田舎には初盆の家に、生前関わりがあった方々がお参りに来る風習がある)

その関係で、今日は叔母もおじいちゃんの家に来ていた。


おじいちゃんが外出し、二人きりになったタイミングで、叔母にこう聞かれた。


「最近何してるの?」

最近してること...青空文庫から毎日一作品ずつ読んでみたり、1週間に一曲の完成を目指してギターの弾き語りの練習をしたり、目標達成のためのプログラムに取り組んだり幾つかしていることはあるのだが、そんなに難しくないこの質問にぱっと答えることができなかった。

きっと無意識に「どんな答えをしたら正解か」を探してしまう癖が原因なのだと思う。


その流れでまた聞かれた。


「どうして大学辞めたの?」

ひとことで言うと「ここに時間とお金をかけるよりももっと自分の本当にやりたいことをやりたいと思ったから」なのだが、話している中で「贅沢だと思うんですけど」「今考えると自分の頭でしっかり考えずに大学を選んでしまって」など、無駄な装飾がつく。

「どう思われるか」を気にする癖も出てしまっていた。


更に質問は続く。


「これからどうするの?」

本当のほんとはシンガーソングライターを目指して頑張っていこうと思っている。

でもここでも、本当のことを言えなかった。じわじわと自己肯定感が下がっていく...


それから、「あなたには自分がこれをしていますと堂々と胸を張って言える人になってほしい」「お父さん、お母さんは優しいだろうからおばあちゃんが痛いことを言う役目を(あなたのためを思って)している」「親はいつまでもいないから、自分で生きていけるようにならないと」「大卒の資格を取ればお婿さんを探すお手伝いをしてあげることもできる」「市役所の臨時職員として働いてみたら?」などをぶわーーーっと畳み掛けられた。

こんなことを言わせてしまうことが情けなくて、涙が出てきた。しかしこんな状況を招いたのは、堂々と等身大の受け答えができなかった私にも原因がある。


そこでまた質問が飛んできた。


「本当はやりたいこととかあるんじゃないの?」


すでに顔はボロボロ。悔しさレベルもMAX。

もうどうにでもなれという気持ちで、「本当はシンガーソングライターになりたくて、今SNSで活動をしてみたり作詞作曲をはじめてみたり、色々と模索中なんです。」と声を震わせながらつぶやいた。


すると瞬時に出てきた言葉は、

「それなら音楽学校に行かなきゃ」

だった。


更には「シンガーにはなれなくても、ソングライターにはなれるかもね」「芸人さんとかも下積みはあるんだしやっぱりお仕事を...」という調子だった。


振り返りとまとめ


今日の出来事を振り返ってみて悔しかったのは、どう思われるかを気にするあまり、本心を大切にできなかったこと。


「自分らしい生き方」をするための考え方の勉強はこれまでたくさん時間をかけてきて、知識として頭ではわかっているはずだったけれど、潜在的には全然落とし込めていなかった。


ほんと悔しいなぁ。。


しかし今日のことが最高最善のタイミングで自分に必要なことを知らせてくれているという角度から考え直してみるとどうだろう。

私は人にどう思われるかよりも、正直な心を大切にしたいたいということ、

自分のことを自分で認めてあげるために、コツコツ目に見える成果を積み重ねて自己効力感をあげていくことの必要性を強く感じた。


ふぅ〜〜〜。頭の中を整理できて少しは気分がましになってきた。


悔しさは今日でしっかり味わい尽くして、前に進む肥しにしていきたいと思う。


今に見とけ〜〜〜!

大切なお時間をいただきありがとうございました💐