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私の中にある宝箱の話。

自分の中に大切にしまってある箱があって。

心が動いた経験、感情、思い出、目標とか熱意とかを、詰め込んである、宝箱みたいな。

この宝箱の中身を、人に見せることにすごく抵抗があって。
その理由はわからないんだけど、わからないなりに考えてみると、私は人と何かをシェアするのがものすごく、苦手なんだと気付いたりして。

その性質については某先生の占いでも見事にご指摘を受けているので、特に2021年後半(と言ってももう10月・・)は、意を決して「シェア」の機会を作ろうかと考えたり。

ただ、なんかもう「シェアってどうやるんだっけ・・」と思い始めるほどにはそのやり方がわからずに迷子なので、こうしてただ言葉を残しておくことにした。シェアのリハビリ。


・・ここまで書いてふと、思ったんだけれど。

宝箱の大きさには限りがあって、新しく入れたい時は何かを出さなきゃいけない!って思い込んでました私。

でも、その箱の大きさって変幻自在に変えていいんじゃないかと閃いてしまいました。実体のない宝箱なんだし。

なんかこうゆう
誰かにとっては常識で、誰かにとっては非常識かもしれない話を
もしかしたら大発見、もしかしたらほんの些細な閃きを

人とシェアするっていうのが健やかさにつながるのかもしれないよね。

私自身

「こんな面白いことあったよ」
「すごい驚く話があってね」

みたいな会話も大好きだけど、なーんのオチもない「報告」も大好きなんだよなぁ。

そもそも、そういった日常の出来事を「ただ話す」ができる関係性ってすごく素敵だなと思ったりするんですよね。


ほらね、こうやって書いていくと、どんどん脱線して、宝箱の中身は?的な空気になっていってしまうんだけど。

私はただ、人との繋がりだったり関係性を深く、深く求めているだけなのかもしれない。

それを「今なら大丈夫かな?」「この人に話しても平気かな?」っていつも伺って生活してるだけ。

きっと私がこれから向き合っていく課題は、人を信じるということ。つまり自分を信じるということのような、気がしています。


普段、自分の中だけで考えていることを
わざわざ日記にして
それを世間に公開するなんて

恐ろしく苦手な行為なんだけど

リハビリするって決めたから、やってみる。

また書きます。



支えられて生きています。いつもありがとうございます。